ハッピーフィクション
最近ことばがあまってる。喋っても黙っても考えても、減ったり増えたりとどまったりせずにいる。いつかプールの中でみんなでつくった大きな渦と似たような動きをしている
今朝は目が覚めた瞬間からあまりに眠かった。月に一度やって来る 眠気が極大の日なのだった。すなおに三度寝をした。そういうときは無理をしない。そんなふうに生きている。そんな生活仕様を1番大事にしている
夢の私はプールの中や、知らない建物の中にいた。場面はくるくる変わった。10年ぶりに会った友達は私の友達の友達だった。6次の隔たりというあれを思い出しながら驚いた。そして私はその子を見上げて「背が伸びたね。2メートルある?」と聞いて、そしたら高いところから声が返ってきた。「あるよ、2メートル」
最後に見た場面はそこでおしまい。目が覚めた世界でもいろんな事が起こる。いろんな世界で、もののあり方がいつにも増して強く大きく、変わっていっている段階だなってひしひしと感じている
日中はあっという間に過ぎ去った。それにしてもなかなか難儀な、言語化と表現の試行錯誤。いつまでも実験中の大きな課題だな。こっちが夢ならよかった、というくらい気分の重い瞬間、この春には多くあった。コミュニケーションの問題だと思うのだけど、その場に適した対応をするとか、関係性によって見せられる顔が違うという以外の意味で「相手によって態度を変える」ってこわくないかい?
もうずっとそんな話をしている気がするわ
気もちはざわざわ、頭はごちゃごちゃ、引き出しも整っていないで、夢はわりとカラフルで自由気まま。いつかの思い出も無意識に継ぎ接ぎされているし、継ぎ目はときどき曖昧になっている。あたらしい物語みたいにも思えて、自分の気分を新発見したり不思議に感じたりもする。頭か夢のなかのどこかに、自分とよく似た別人が好き勝手におよいで創作でもしてる空間があるんじゃないか。そのあたりにあまった言葉は、工場で切り落とされたケーキの端にも似ている風。考えの中から切り出して発音するときに、こぼれ落ちた分だと思われる。詰め合わせて保管して、またいつか生かしたい
ここまでの身近な流れの中でいちばん辛い時期は通り抜けられた気がしていて、各方面へ、ありがとうの気もち。この思い出ひとつで生きていけるって思うことが私にもあって、それたちは部屋にちゃんと並んでいる。いいこととか楽しいことを集めたそのパッチワークに包まれて眠りたい。あまったことばのやさしい部分も織り込んだら、どこまでもやわらかいぬくもりの生きものになる。部屋に並んだままでもすてきであるし、そばにやってきてくれるならとても心安らかになれる