别别
特別な不自由なく使える言語がひとつあるのってすごいことだ。
(伝わる・伝わらない はもうどうしようもないけれども。
だって 子どもの頃はもちろん、大人になってからも、日本人に日本語で話しても、思うように伝わらないなんてことは、幾らでもあった。その時の相手を責めたりしてるんじゃなくてただの事実の話。自分の表現力の問題もあっただろうし。)
ここまで知らず知らず、どこかで得てきたんだな。
手話や中国語をちょっとずつ齧っただけで、
すごくそう思うようになった。
どうすれば相手に伝わるのか、前よりずっと考えるようになった。相手がなにを伝えたいのかも。お互いがそうすれば、どこの国の人同士でも、どんな言語や表現を通しても伝えたいことは伝わるし、独りよがりになれば、伝わりづらくなったり、良い関係が保てなくなったりしてしまう。
そして世界は広くて、無数の、べつべつの場所で似たように毎日を暮らして、悩んで生きる私たちがいる。
勉強だと意識して取り組む事以外だって 見つけて、選んで、始めて、止めて、続けていく、そのひとつひとつが人生の勉強なんだと思った。一生勉強だね。
中国語を学び始めたことで、そうして(中国語/日本語 学習者の)知り合いが増えたことで、そんな気づきにも、改めてたくさん出会っている。
みんな毎日忙しい、とにかく時間がない。でも毎日の隙間で得られるそういう小さなことは、ちゃんとキラッとする。自分のお守りになる。
勉強を始めて1年が経って、そんな1年分の光が自分の歴史に積もった。好きな ものも ひとも ことも つぎつぎ増えた。いつかは忘れちゃうまで、どれも大事にしてたいなぁ。
そういうわけで、やっぱり 好きな人たちは力をくれる。近くにいなくても、話せなくても。びっくりする程に 違ってて、おんなじな生きものたち。人間でいるのはこわいし、人間むいてないなって思うし、生まれ変わったら人間はやめとこう、って思いながら生きてるけどさ
でもわたしは、だから元気です。
この3年、つらいことが多すぎたね。別れも疑念も絶望も。向き合ってないわけじゃないけど。なくすばかりはいやなものだ。だからだれにも邪魔されないものを手に入れたい気もちも強くなった。どうしようもない大きな世界の事を信じない。
小さな世界を大事にする。
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