主脳会議
今日はひさしぶりに職場で会議をした
たくさん話してのどがかわいた
人間が人間と生活し、まもるという仕事なので 話し合いや対話というのがとびきり重要で 日頃から飛び交う言葉は自然と多いけれども、会議とはその濃縮バージョン
同じ場面を目にしてもたぶん当たり前に あなたとわたしが持つ感想はちがっていることの方が多くて、そんなの脳みそがちがうから当たり前で
だからモラルとかマナーとか常識的な範囲の基本を押さえられた上での その外側の話なら人に対して腹を立てることなんてほとんどなくて
むかつく!と よく何かに怒っている人の血の気の多さに 見ているわたしが疲れたり、すごいなと思ったり、同意を求められて同意しきれず怒らせてしまった気がしたり、そんなことはよくある。しかし濃い生命力はたのもしい。
そんなにひねくれて捉えなくても、と思うことはもちろんあるけれど それってべつにピュアにひねくれているわけじゃなくて その人にはそれこそが真っすぐだったり、その人なりの真っすぐさだったりするかもしれないとも思ってしまうわけさ
とかなんとか言いながらぬらぬら生きていて
なにか断言を避けながら、わたしは数学の答えがひとつしかないようなのがとても苦手なものだからこれは仕方のない性格という気がする
(さいきんようやく、時折、ゆっくり、じぶんの"ずれ"に気づく瞬間を持てるようになった。性格について見つめ直せるのはその瞬間のおかげかもしれない)
そんなぬらぬら人間がたくさん喋りおえて
みんなで順番に解決して、相談して、報告して、やり方を決めて、そんな数時間
困ったことがあったら言ってね、とか、あなたがすごいんだよとか(いまのわたしの立場に以前いた人はこの環境が耐えられなかったらしい)、そう言ってもらえて、助けてもらえて
いえ わたしは偶然この種類のストレスを耐えることをがんばれただけ むかしの環境と真逆の居心地のよさに救われているだけ
すきなことしかしていないしなぁ、、。
帰り道にふと口から
「(わたしの生活は)ぬらぬら」ってこぼれた
まわりの人の無事な毎日を一緒にまもりながら、わたしも大丈夫になりたい毎日だ
とても、まわりの人に恵まれている。感謝している。その実感が濃くなった日である
そんな日も過去になり、午前3時が近い