第39話 壁画
俺が必死で、PTSDの治療に専念している時に、わざとフラッシュバックを起こすように妨害してくるワンダ軍曹。『犬並みのオツムなのかな』と内心思いながら、冷汗を流し、腹痛を訴えるヒーちゃんに向き合った。
俺は再度、『フラッシュバックに効くツボ』と念じ、鑑別スキルによるスキャンを行った。
今度は、下腹部と膝の上に青く光る場所を確認し、鍼治療を行った。
「…ラクニナッタ」
ふぅ。
PTSDの治療は本当に難しい。これほど『生兵法は大怪我のもと』という言葉が似合う治療もない。少なくとも救急医が片手間でやるものではない。まず安全基地となるような、おだやかな人間関係と場所があって、初めて…
「ヒーちゃん、レイプされたのか?許せないな!」
いや、ワンダ軍曹。あんたが許せないよ。何だ、この駄犬。
「…ハァハァ、キャー!!」
クソが!
そうして、鍼治療を行っては、ワンダ軍曹がヒーちゃんを追い込み、フラッシュバックを起こし、また鍼治療を行うという無限ループが始まった。『駄犬、いい加減にしろ!』と言いかけたところで、ヒーちゃんのフラッシュバックが底を尽き、PTSD治療が終了した。
えっ?
「ダレカオモイダセナイケド、ワタシ二ワルイコトシタ、ユルセナイ」
「そ、そうだね…」
おかしいな。PTSD治療にはもっと時間がかかるはずなんだが。
俺が納得できない表情でいると、ワンダ軍曹が俺の肩に手をのせた。
「ある特定の場面に出くわすと、発狂する軍人がいる。」
「…はい。」
「大体は、同じような場面で発狂して敵前逃亡するので、予め殺しておく。軍規が乱れるからな。」
「…そうなんですね。」
「ところが、ああやって、事実を突きつけていくと、ふと正気に戻る奴がいる。」
「…今のが軍隊的治療というわけですか。」
「お前の鍼治療を信頼した。時間をかけりゃ、発狂するのが確実に治るというわけでもないのだろう?」
「ええ、まぁ…」
確かに場末の救急医が見様見真似でやっているPTSD治療だ。確実に良くなるという保証はどこにもない。むしろ結果オーライと考えるべきか。
釈然としなかったが、もう夜も更けてきて、腹が減った。
これまた癪に触るが、パリーの男料理がメチャクチャうまかった。森で採れた素材を、しっかり下ごしらえして調理している。
エルフとかさ。なんか料理ポンコツでさ、異世界転移した主人公が、料理チートするとかがテンプレだと思うんだが。
全く手出し、口出しできない…
金髪美形で、男のログハウスに料理も上手なパリー。それに研究熱心ときた。
モテる要素をゴテゴテに盛ればいいってもんじゃないだろう。
全くけしからん。けしからんのだ。
野鳥の肉、森で採れる野菜と香草を合わせたスープを無言ですする。
「どげんね?」
「…うまい。」
「まだ、おかわりあるとよ。」
「…おかわり。」
「なしてそんな怖い顔しとるとね?」
どうやら、うまい料理に頬がほころぶまいとしていたら、金剛力士像のような顔でスープをすすっていたらしい。
まったく神様は不条理なことをするもんだ。
モテ要素は一人の人間に集中するらしい。
それも仕方ないな…
ヒーちゃんも含めて、パリーの料理に感動する。
うまい料理を食うと、心がおおらかになるものだ。
俺たちは、腹を満たした後、ボソボソと語られるヒーちゃんの言葉に耳を傾けた。
ヒーちゃんの話を要約すると、元々テノワルに暮らしていたが、何者かに犯された。笛の音が聞こえたと思ったら、今のオークヒーラーの姿になっていた。
記憶の抜け落ちはあるが、仕方ないだろう。むしろ1日で、ここまで話せるようになったことが驚異的だ。
「しかし…」
俺は、布に包まれた黒い笛を眺めた。
ヒーちゃんは、この笛を見てもフラッシュバックを起こしたが、たしかに見覚えはあるらしい。ちなみに、怖いもの知らずのワンダ軍曹がこの笛に大量の息を吹き込んだが、音は鳴らなかった。
バカなのか、考えた上での行動なのかよく分からない軍人だ。
次の日、俺たちは、パリーの案内で祠に向かった。
昨日はさすがにPTSD治療やテノワルからの長距離移動もあり、皆ぐっすり眠れたようだ。ヒーちゃんの顔色もだいぶ良くなっている。とはいえ青色だが。
案内された場所は、パリーのログハウスから速足で1時間もしないところにあった。祠がある洞窟の入り口に立つと、スッと鼻が通るような感覚というか、体感温度が涼やかになったようで、ここが由緒正しい場所だと分かる。
パリーの持つ光の魔道具を灯し、洞窟の中を進んでいくと、壁面にパリーが言っていた絵が描かれていた。
「これが、例の壁画ったい。」
洞窟の最奥には祠があるのだが、それこそビリビリ来るような威圧感がある。祠に描かれた紋章も何やら意味ありげだ。おいそれと近づけない。
その祠を取り囲むように壁いっぱいに絵が描かれており、思った以上に鮮明なことに驚く。描かれてから、まだそんなに日が経っていないのか。
「おや?」
「どうかした?」
「いや、なんでもない…」
光が当てられた部分には、女神と様々な神々が描かれていた。女神は、なんとなくアンダンテに似ていた。これは何かの啓示を描いたものなのだろうか。
俺が思考の海に沈みかけているところで、ルッソが声をあげた。
「これ、テノワルのようだね…」
ルッソが指さす方向を見ると、魔物の大群が街を飲み込む様子が描かれている。
「この壁画では、オークじゃないんだな。」
壁画にはおどろおどろしい骸骨の魔物が、魑魅魍魎を率いている様子が描かれている。さしずめアンデッドのリーダーといったところか。
パリーの照らす光にしたがって、俺たちの視線はそこから上に向かう。
あれは…
「お前が持っている笛じゃないか?」
ワンダ軍曹が俺に向かって言う。
そうだ…たしかにそうだ。
笛の周囲には、女の裸と思しきものが多数描かれ、悪魔と思しき者が笛を手に取ろうとしている。その悪魔の目線の先をパリーが魔道具で照らし出す。
「「ドラゴン!」」
あっ、ハモっちゃった♡という感じで、俺とワンダ軍曹がお互いに顔を合わせる。
「これって、ドラゴンが魔物の群れを指揮しているようにも見えるわね。」
レナ教官が天井に描かれた絵を指さして言う。
「サーノ、ごめん。なんか気分が悪くなった。外に出たい。」
ルッソが青ざめた顔でいう。
俺たちはコクリとうなづき、洞窟の外に出た。
しばしの沈黙が俺たちを包んだ。
その沈黙を破ったのは、ワンダ軍曹だった。
「昔の人は絵がうまかったんだな。感動したぞ!」
「「そこ!?」」
全員でツッコむ。
「きれいな絵が描かれているくらいで、何だかよくわからんかったぞ。」
ワンダ軍曹は腕組みをして、難しい顔をしている。
「仮説なんだけど…」
ルッソが重い口ぶりで、うつむきがちに話し始めた。
「悪魔が、多数の女を生贄にして、笛を吹いた。それで、ドラゴンが復活した。無数の魔物も現れて、街が破壊された。あの壁画の意味は、そういうことなんじゃないかな…」
「おいおい。それは本当か?」
ワンダ軍曹が驚いたようにルッソを見る。
「分かりません。ただ、森が腐ってるというパリーの話を踏まえると、その中心に復活したドラゴンがいるかもしれない…」
ザーッ。
風が吹いたのか、木々の葉擦れの音に思わずドキリとする。
皆が押し黙るので、俺は耐え切れなくなった。
「調査はここまでだ!」
「なしてね!?」
パリーが食らいつく。
俺は情感を込めて説明した。
「おっかないからだ!」
パリーがズッコけた。