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インクルーシブ教育の先はどうなっていくのか
勧告の趣旨
2022年9月、国連が日本政府にインクルーシブ教育を進めるように勧告を出した。
野口さんのこちらの記事がとてもわかりやすかったので、概要はこちらで。
野口さんは、インクルーシブ教育は「プロセス」が重要であると述べている。
障害があるから特別支援学校(学級)、不登校だからフリースクール、といった押し付けられるのではなく、多様なニーズを持った一人ひとりの子供が、地域の学校で支援を受けることも、別の場で学びを受けることもできる。その自分にフィットする場所を「選べる」ことや、学びたい場所で適切な支援を受けられることが大事なのだ、と。
現在の問題を端的に表しているのはこちらの文章だ。
当然、障害の有無に関わらず、自分に合った学習環境を選ぶのは、子どもにとって良いことであろう。そのため、別の場が廃止されるべきという立場を筆者はもたない。一方で、問題なのは、障害などを理由に子どもが別の場を「選ばされている状態」や「選ばざるを得ない状態」である。
日本の多くの場所で、これらの「選ばざるを得ない状態」が起きており、それらは「卒業後の進路」でも続いているように思えてならない。
数少ない進路
私はいま、特例子会社で支援員として勤務をしている。メインの業務内容は療育手帳を持つ職員のサポートである。
全員とは言わないが、過半数の障害者雇用枠の社員は似た人生を歩むように「周囲に設計」されている。
特別支援学校の高等部で就職できるように学び
学生のうちに数年かけて就職活動を行い実習に行き
「障害者雇用枠」で就職し
大半は転職をせず(転職という選択肢すらほとんど提示されない)
定年まで同じ会社に勤め上げることを目標とされる。
そして、生産性が低下した場合は、福祉的就労への移行を求められる。
生活においても似たようなプランである
就職してしばらくは親の支援を受け、
親が元気なうちにグループホームや通勤寮を経験し、
「自立」生活ができるように求められる。
この流れができてきており、他の選択肢を考える営み自体が、放棄されているのではないか、と思われることも少なくない。
日本中で、「(知的)障害者の理想のライフプラン」が決まっており、それに向かった支援が画一的に実施されている傾向が、少なからずあるのではないか。
だとしたら、とんだディストピアではないか、と私は思う。
卒業後の社会
特別支援学校の卒業生の進路は、非常に選択肢が少ない。
多くの場合は、「障害者雇用」と言った非常に狭い枠に入るために努力し、入れたとしても低賃金で、軽作業や単純作業が多い。
定年まで、最低賃金に毛が生えた程度の給料がもらえる職場しか選択肢がない状態であり、能力が低いから仕方がない、と捉えられる。
職場や支援機関で実施される社会人教育では、「稼ぐためのノウハウやステップアップの方法」は伝えられず、「身の丈に合った金の使い方」が伝えられる。
根本的な問題
インクルーシブ教育が進まない状況も、障害を持った人のライフプランの選択肢が非常に少ないことも、根っこの部分は同じだと思う。
思い込みや固定観念である。
障害児が教室にいたら授業にならないはずだ
特別支援教育を受けた方がその子のためだ
知的障害者が稼ぐなんてできるわけがない
一人暮らしなんて無理
支援職なので、一人ひとりのニーズを汲み取って、実現のためにやりとりをして、形にしていくプロセスがものすごく骨が折れることは重々承知だ。
加えて、家族や学校、企業の運営や経営に関わっていく問題なので、簡単に決められることではないのも理解している。
だが、障害を持つ人にとって、この国にはあまりにも選択肢が少ない。
はたから見ていると、一本のレールを歩かされているように見える。
良いわけがない。
一人ひとりの属性に関わらず、さまざまな選択肢が等しく提示され、選ぶ権利が与えられなければならない。
理想論の先
と、ここまで理想論を語ってきた。
が、私にはまだ理想論を具現化する方法を探し出せていない。
「ただ同じ空間にいればインクルーシブ」ではないからこそ、問題は複雑で難しい。
一つずつやるしかないが、法律を含めて社会的に大きな変化が起きなければ解決できない部分もあると感じている。いま勤めている、「特例子会社」という障害者雇用の量を拡大するために始まった会社の在り方も、いずれ影響が出てくるはずだ。
特例子会社、という障害者をひと所に集める仕組みは、インクルーシブの流れが進むに連れて風当たりが強くなりそうだと、現時点では思っているが、どうなるかはわからない。
冒頭に戻るが、重要なのはプロセスだということを忘れずに行きたい。