![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/146671041/rectangle_large_type_2_a478531611c6100f20503b4724e9944a.png?width=1200)
9.矛盾があってもどうどうと楽しく生きて行きたいのだ
ジョギングをしているとき,足元に甲虫を見つけた。カブトムシのメス!? こっちにもいるんだ,と思って,同郷の友を見つけたような気持ちになったけれど,カブトムシより小さい気もする。カナブンかもしれない。
黒っぽくて4㎝くらいでイメージするカナブンより大きめだという理由で,カブトムシかと思った。でも,私はカブトムシとカナブンを見分けることができない生物系学生なので,カブトムシとカナブンを見分けることができない。
でも,なんとなく顔がかわいいなぁとは思う。
じっくり見るとかわいい昆虫って多い。じっくり見なくてもかわいい昆虫も多い。
![](https://assets.st-note.com/img/1720473451754-P2AIT1Lkl1.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1720473451788-saMBwWQfLh.jpg?width=1200)
昨日,自分が大切にする価値観について考えてみた。
改めてまとめ直して,私にとって大切なもの順に並べると,
#1 人に認められること(=愛されること)
#2 成長すること
#3 オリジナリティがあること(=特別な知識・能力・経験を持つこと)
#4 人の役に立つこと
#5 きちんとすること
となった。
この中で,#5が少し引っかかったので,考えてみたい。
#5に関して,あまり消化しきれていない。
「きちんとしないと」「ちゃんとしないと」
こういう声が聞こえることが度々ある。
精神的に不安定な時や,体調が悪いとき,特によく聞こえる。
そして,それが聞こえるときはたいてい苦しい。
(聞こえるから苦しいのか,苦しいから聞こえるのか,どちらが先かはわからない。どっちもどっちだと思う)
こちらに進学してすぐのときは,特によく聞こえた。研究手法が修士と異なっていたり,基礎的なところがよくわからなかったりして,実験がほとんど進まず,やたらと焦った。
ちゃんとできていない,というのが,大きなストレスだった。なかなかベッドから出られなかったし,怖くて,一通り一日の流れをイメージしてからでないと家の外に出られなかった(イメージトレーニングは本当に効く。環境が変わってまいっている人にはぜひおすすめしたい)。
しかし,改めて考えて見ると,「ちゃんとする」というのは,具体的にどういうことなのだろう。なにをもってして,ちゃんとする,と呼ぶのか。
朝起きて大学に行くこと? いや,これでは絶対足りない。
実験をすること? それは当然だ。
実験を行って結果をまとめること? それも当たり前。
さらに考えてみたけれど,パーフェクト! ちゃんとしてる! に,なかなかたどり着かない。それでも,ちゃんとしてる,を私なりに練ってみた結果,以下のようになった。
朝すっきりと目覚めて,ヨガをして,瞑想をして,タンパクと食物繊維豊富な朝ごはんを食べ,9時前にラボに行き,一日の予定を確認したのちに,論文を2-3本読んでまとめ,午前の実験を予定通り終わらせ,ラボのメンバーとにこやかに談笑しつつお昼ご飯を食べ,午後の実験に取り掛かかり,明日以降の実験準備をしたのち実験結果をまとめ,7時になったらラボを出て,ラボの戸締りをしたのち,ジョギングをして家に帰り,バランスの取れた食事をして,言語の勉強をして,本を読み,勉強して,Noteを書き,家の掃除をしてシャワーを浴びたのち,22時には寝る。
研究生活は充実し,友人もたくさんいて,趣味も充実している素晴らしい生活。
できるかアホ
いや,できるかもしれませんよ,いつかは。それを理想像として,今の生活を調整していくのは,一つの指針としてありだと思う。でも,こうできなきゃだめ,というのは,苦しすぎるんよ。
あと,実際に「できてないよ」「ちゃんとしなきゃ」と自分の中のなにかがめちゃくちゃにさえずるとき,そんな具体像は浮かんでいない気がする。
ただひたすらに,焦る。具体的になにかしなきゃ,ではなく,「なにかをなんとかしなきゃ」なぜなら「できていないから」。
なにをどう,どこまで「ちゃんと」しなくてはいいかはわからないのに,なにが「ちゃんとしていない」かは,はっきりとわかったりする。意識が向くのは,現状までにできたことではなくて,できなかったこと。70パーセントできていたら,30パーセントに目が向く。
そして,それも自覚できていないから,なぜか90パーセント,ほとんどダメ,あるいはまったくダメ,自分の存在ごとダメであるような気分になる。
こういう苦しみにはまって,そのままずぶずぶと調子を崩し,ますます「ちゃんとできなく」なることが多い気がする。
きちんとする,という価値を重んじるのは,もはや私の習性,脳の癖,個性であるから,そこを変えるのは,難しいのではないかと思う。
それに,悪いことばかりではない。きちんとする,ということを重んじるから,締め切り以内になんとか物事を終わらせられたり,人のメールに返事をすぐできたりするのだと思う。
良い,悪いではない。ただの習性。そういう風にとらえたとき,ちょっと視野が広がる。どのように,前向きな方向に,私が楽しく生きて行けるように,これを活かせるかな。
それで,考えたのだが,「きちんとする」「ちゃんとする」を具体化して,どれくらい自分が,「ちゃんとできていたか」がわかるようにしようと思う。
そうしたら,それが達成できたとき,自分に,できたね,偉い,と言ってあげられるんじゃないかな。
私にとって,「きちんとする」というのがどういうことなのか,私はどういう自分でありたいのか,明日,元気があればまとめてみようと思う。
自分の重んじる価値を見返してみたとき,#5の「きちんとする」と,#3の「オリジナリティがある」に矛盾があるように感じられていた。でも,「きちんとする」,を,「レールの沿って生きる」ではなく,「自分やみんなに配慮した生活」ととらえ直せば,見方は変わってくる。
矛盾だ,と感じたとき,そこで思考が停止しないといいな,と思う。
矛盾があっても,その矛盾を自分の中で消化して,と楽しく生きて行きたいなぁ。