大人もごっこ遊びをやっているはなし
アメリカの地で、
表現アートセラピーの中の、ドラマセラピーの学科の修士課程で学んでいるわたしです。
広島出身故、時々広島弁が飛び出すかもしれません。
でも広島弁は広島を離れて暮らして長くなってきたわたしにとって
故郷とわたしをつなぐ一つの大事な部分だったりして
話し言葉の中でも残りつづけております。
脱線しました。
ドラマセラピーやアメリカでの出来事などをNoteに書き連ねて
とにかく発信してみようと思って文字を打っています。
ドラマセラピーと聞くと、
なんか演じさせられるんでしょ?
台本があって、発表して、、、
というイメージがでてくることはよくある。確かに。
なんだけれど、ちょっとだけ違う、
演じさせられるんではなく、
勝手に演じはじめて、
表現することで内側にあるものを外に出していき、
そして、それを客観的に見ることで抱えている問題から少し距離をとることができる。
なぜ勝手に演じはじめるかというと、
どうやらそれは人間が元々持っている力だからということらしい。
子どもの頃のごっこ遊びを思い出すと理解できるような。
わたしはおままごとやリカちゃん人形でごっこ遊びをしていたけれど、
あれって誰かにやりなさいと言われてやっていたんではなく、
勝手にやっていたものだった。
台本はないし、即興でセリフを言い、砂のケーキを食べる仕草をしていた。
(砂にケーキなんて、色を思い出すだけで今はお腹が痛くなりそうなのだけれども笑)
大人になるにつれてそういうごっこはあんまりやらなくはなるけれど、
たとえば親の話し方をモノマネしてみたり、職場の人の仕草を真似しながら同僚と話してみたり、
それも「ごっこ」に入るんじゃない?と思う。
わたしは今シェアハウスに住んでいるのだけど、
ルームメイトとはよく「モノがしゃべるあそび」をやる。
「さあやろう!」と言って始まるんではなく、勝手にはじまる。
こないだはこんなシーンがあった。
ずっと外に出していた植物を家の中で育てはじめた途端に葉っぱが頻繁に落ちるようになった。
これを見たルームメイトが咄嗟に、
「もう、わたしは外がいいのに!家に入るとこんなことになるの、わかるでしょ?」
というセリフを声色変えて言い始めた。
これって大人の「ごっこ遊び」じゃない?と思う。
実はドラマセラピーの手法の一つにそういう、モノになりきってしゃべる
というものがある。
ドラマセラピーは人間が元々持っている自発性を使って
解決したい問題や改善したい人間関係について取り組んでいく。
そしてユーモア溢れるシーンやあたたかいシーンに沢山立ち会える。
これからドラマセラピーについても
それ以外にわたしがアメリカでの暮らしで気づいたこと
アメリカに来る前に中東のパレスチナあたりに滞在していたことや
旅をしていた時のことなど、
いろんな話をnoteで書いていけたらいいなあ。
と思っている次第でござります。