1994/08/15 義妹命日
私は義妹さんに会ったことがありません。
大学四年生の夏、岩手の八幡平の湿原に調査に来ていた私。所属する研究室にダンナもいました。そのときに聞かされた、教授から妹さんが亡くなったと。いつももの静かで落ち込んでるようにはみえなかったが、亡くなって1ヶ月たってないと思いますが、調査に彼の姿がありました。
このころはまだ付き合ってなかったのですが、元気つけようと研究のことに専念して、あえて話題に触れませんでした。
あとで聞いた話。
義妹さんは友人と川に遊びに来ていて、そのときにダムの放流の警告がながれていたらしいのですが、聞こえるところで泳いでいなかったようです。急に水かさが増え、友人の男性が流されました。義妹さんはみかねて飛び込んでしまったようです。
男性は奇跡的に助かりました。
しかし義妹さんは亡くなってしまった。
ご両親の悲痛な思いはいかばかりであったでしょうか。仕事する気もなく、店も1ヶ月閉めたようです。ダンナから当時の話を聞いたときは言葉ではあらわせない感情が入り乱れるツライ話でした。
うちは終戦の日で沢山の犠牲者の方のご冥福を、平和を祈る日に、義妹さんの追善を祈る日でもあります。
当時の友人がたまにお参りに、と来てくれます。いつも後悔の涙を流す。事故は一瞬だけど失ったものは永遠に帰ってこない。
夏は川や海で事故をよく聞きます。どうか細心の注意を払って楽しんで欲しいといつも思います。
若干19歳で亡くなってしまった義妹さんはいつも友達とマクドナルドに食べにいっていたとお義母さんからきいていたので、墓参りの時はいつもハンバーガーを買っていきました。そのお義母さんも亡くなった今、私がハンバーガーを買って子供たちとお供えするようになりました。
亡くなる前日、不思議なことに義妹さんがお義お母さんにポツリいった言葉
「今度生まれてくるときはお兄ちゃんの子供になりたい」
今、色々やらかしてる血液型も同じ長男
あんたか?ww
ともあれ、今日は会ったことがないけど心を込めて義妹さんに追善の手をあわせる。