看護って素晴らしい
こんにちは、はよんです。
今日で5回目の記事になります。
自分の頭の中をまとめて言語化するって難しいなと思う一方で、少しずつですが楽しくもなってきています!
まだまだ稚拙な文章も多いのですがお付き合い頂ければ嬉しいです〜
本日は、看護の素晴らしさについてお話ししたいと思います。
今まで看護師のとても大変な現状や、そもそも看護師って何してるんだ?みたいなお話をデータや法的側面からある程度ロジカルにお話してきました。
どちらかというと堅苦しいというか・・・ややネガティブ系の内容が多かったなと個人的には思っています。(でもそれが事実だから仕方がない)
今日はガラリと内容が変わります!!
データとか法律とかもうほぼなく、文化的であったりメンタル的な側面からのお話になります。
どちらかというとエモい系の内容になります(笑)
が、個人的にはこれも看護の味の1つだと思っているので、最後まで読んで頂けるととても嬉しいです。
そしてこの記事に興味を持って頂いた方、是非一緒に話しましょう!!
看護について語る際は・・・アカデミックな難しいことを言うよりはもうズバリ、
実体験を伝えるのが一番!!
だと個人的には思っています。
これが一番、看護について全然知らない人からよくわかっている人にまで直感的に伝わるのではないかと思っています。
私は以下3つの方向から看護に関わったことがあります。
自分自身が患者として看護を受けたことがある
子どもが入院したときに患者家族として看護を受けたことがある
看護師として看護を提供したことがある
看護師から受けた印象的な看護は本当にたくさんあるし、逆に私自身が患者さんやご家族から言われ今も覚えている言葉もたくさんあります。
全部書くと1冊の本になってしまうので(笑)、一部を紹介したいと思います。
あと私だけの視点よりは他の方の視点もあった方が良いと思うので、いくつか引用もします。
忘れられない看護エピソード
これは日本看護協会が実施している「 第10回忘れられない看護エピソード」で優秀賞の作品の1つです。
https://www.nurse.or.jp/home/event/simin/episode/10th/pdf/09.pdf
余談ですが、私は初めてこれを読んだ時気付けば涙が出ていました。(もはや何泣きかわからん)
これこそまさに看護の素晴らしさが凝縮されているなと個人的には実感しました。(上から目線ですいません)
患者への声かけの内容やタイミングはもちろん「私がしたいから」「仕事だから」と言う単語の選び方、そして身体を拭くという行動そのもの。まさに病院にいるたくさんの医療職の中で看護師にしか出来ないことだと思うし、本当に素晴らしという言葉1つしか出ません。
ぶっちゃけ、この清拭と足湯ってなくても生きていけるんですよね。生活に必須ではないんですよ、なくても治療に悪影響があるとかそう言うものではないです。
なくても生きていけるけど、あるとより生活が豊かになる、そんな感じですよね。
このひと時がこの方の人生に大きな影響を及ぼしていることは言うまでもありません。
患者としての私の経験
私自身が入退院を繰り返してたのは20年以上前になりますが(自分の老いを感じます・・・汗)、今でも看護師にしてもらって嬉しかったことって本当にたくさんあります。
その中でも特に印象に残っているのは、とある日の夜、看護師が私が眠りにつくまで側に付き添ってくれたことです。
私が記憶する限り入院生活のほとんどは6人部屋でした。
親が、入院の度に大部屋が空いてればそこに入院させて欲しいと医師に伝えていたことを今でも覚えています。
でも、その入院は大部屋が空いておらず個室でした。今この年になると個室が良いのですが、小学生になったばかりの私にとって、一人ぼっちの部屋は本当に静かで、何をしても何をしなくても誰からも何も言われない環境というのはとても不安でした。
父がほぼ毎晩、大体19時~面会終了時間である20時まで面会に来てくれては、よく一緒にトランプをしました。
静か過ぎるあの部屋で父と話しながらするトランプは退屈な入院生活の中で、ほぼ唯一の楽しみの1つでした。
その日も父は面会時間ギリギリまでトランプをして帰宅しました。
父の帰宅後、理由は今でもわかりませんが何故か勝手に涙が出てきました。
寝る前の薬を運びに来てくれた看護師は、一人で泣いている私に「看護師さんまたすぐ来るから」と言って、一旦は部屋を出ました。
消灯時間になってもなかなか寝れない時、さっきの看護師が来ました。そして「寝るまでずっとここにいるから、大丈夫やで」と言い、本当に私が寝るまで隣にいてくれました。
何か看護師と話をしながら寝た記憶があるのですが、話した内容までは覚えていません。
忙しい夜勤中に数分〜数十分、患者のベッドサイドに付き添うなんて、普通に考えたら出来ません。
あの時、私が寝るまでずっといてくれたというのは明確に覚えているし、それが子どもながらにすごく嬉しく、これが私の心の中で大きな支えの1つになったのを今でも覚えています。
看護師としての私の経験
今日はお湯が温かくて気持ち良いです
これはとある患者さんの陰部洗浄をする時実際に言われた一言です。
皆さん頭の中で想像して頂きたいのですが、陰部を洗う時冷たい水でも熱いお湯でも「ひゃぁっ」てなりますよね。
熱すぎたら火傷の危険性があって危ないし、冷たすぎると火傷の危険性はないかもしれませんが、単純に不快ですよね。
だから私は特に陰部洗浄のお湯の温度は気をつけるようにしていました。
私が勤めていた病棟では当時、医師が診察するタイミングで診察と一緒に陰部洗浄を同時に行っていました。毎日出産がひっきりなしにある産科だったので、医師の「今から診察するよ」で診察が始まっていました。
だからこの陰部洗浄用の水が入ったボトルを温めるタイミングは本当に難しかったんです。
準備が早すぎても使う時には冷めてしまうし、遅すぎても十分な温度まで水が温まらない。
だから患者さんからこの一言を言われた時、「今までは冷たかったんだ」とすぐにわかりました。
でもだからと言って、今まで冷たい水で陰部洗浄をしていた他のスタッフが悪いとも思えませんでした。
当時勤めていた病棟は、「今日の診察と陰部洗浄を時間内に終える」ことだけで精一杯、とても患者さん1人1人に快適で適切な温度のお湯で陰部洗浄を提供することまで、気を配れる余裕はありませんでした。
医師も看護師も本当に忙しくて、「午後の外来が始まるまでのこの30分で全員診察する」というような状況は本当に良くありました。そんな時に、お湯がまだ温まっていないからという理由で、遅らせて下さいとはとても言えません。
(そういう時は「早くあったまって!!」と心の中で一人念じていました笑)
実際私の準備が遅くて、医師に「まだ?」「遅くない?」と言われたこともたくさんあるし、先輩看護師からは「●人の陰部洗浄だけで○分もかかってるの!?」と注意を受けたこともたくさんあります。
(実際に私の要領が悪かった部分も大いにあるのですが・・・)
ここで最近読んだ本で私のこの経験と少し似たような言葉を発見したので引用します。
お湯の温度も、消毒液の拭き忘れも、温かいタオルも本当に些細なことですよね。
これらは業務効率化や病院経営という目線だけで言うと正直どうでも良いです。
むしろ時間かけずになるべく効率的にやって欲しいと思うという意味では不要かもしれません。
でもこの些細なことが患者さんにとっては本当に大切なんですよ。
こんな些細なことで患者さんを励まし、少しでも生活を豊かにする支援ができます。
こんな小さなことが、患者さんの生きる力を引き出すことすらもできると思っています。
逆に言うとこんな些細なことで生きる気力を奪う可能性もあるのです。
良い意味でも悪い意味でも一生患者さんの心の中に残ると言っても過言ではありません。
患者家族としての私の経験
最初の記事で少し触れましたが、私は末っ子の入院を機に退職しました。
大好きな仕事を自ら退職した後味の悪さと悔しさ、親としても看護師としても中途半端で何もできていなかった自分への失望、そして何よりも自分の子どもがどうなってしまうのかわからない不安の中で毎日過ごしていました。
朝に上の子2人を幼稚園に連れて行った足でそのまま末っ子が入院している病院へ行き、夕方まで付き添った後に、そのまま幼稚園へ迎えに行って、帰宅。当時4,3歳だった子ども達の夕食から寝かしつけまでした後に、深夜まで翌日のご飯の準備や洗濯などの家事をするという毎日を過ごしていました。
仕事はやめたけど、自分の時間はほぼなく自宅と病院と幼稚園だけ往復の毎日を過ごしていました。
当時1歳になったばかりの末っ子に付き添っている間、末っ子の食事の介助も入浴介助もお昼寝も全部私がしていました。お昼ご飯を食べさせた後に、昼寝は一緒に添い寝をして、末っ子が起きたタイミングで一緒に起きておやつを食べさせて、という流れだったので、ほぼ毎日昼食を食べていませんでした。
上の子ども達がいる関係で夜間の付き添いは一切できず、夜泣きにも対応できない
もっと早く体調不良に気付いていたら入院までしなくても済んだかもしれない
自分の中で生じる末っ子への罪悪感から、日中くらいずっと付き添って世話をするのは親の責務だと思い込み、末っ子の世話は主に私がしていました。
そんなある日、私より年上の明らかにベテランの看護師が私の所へ来て、
「お母さん今日は私がこれから●●ちゃん(末っ子)のお風呂入れてお昼ご飯食べさせて、お昼寝させとくから、ちょっとお昼ご飯食べてゆっくりコーヒー飲んできて」
と言いました。
戸惑っている私に対してその方は
「いいのいいの今日くらい、ちょっとゆっくりしてきて、ね!はい●●ちゃん行くよ〜」
と言い、泣く末っ子を抱っこしてシャワー室へ連れて行きました。
私は病院を出て、数日ぶりに幼稚園と自宅と病院以外の場所へ行き、昼食を食べました。
一人でゆっくり昼食を摂っている間(ちなみに大好きなインドカレーを食べました)、今の生活を振り返りました。
そして、この段階で末っ子が退院する目処は全然たっていなかったので、まだ長期戦になる可能性は十分高い、となるとこんな生活をずっと続けていると、いずれ私がダメになるかもしれないと気付くことができました。
今私が体調を崩すと末っ子の面会にも来れないし、夫にさらに迷惑をかけてしまう、そのためにももう少し生活リズムを考えなくてはいけないと冷静に考えることができました。
今まで必死過ぎて、全然気付けなかったことに気付けたのです。
また、仕事を辞めたことの悔しさや無念はありましたが、自分で決めたことだし今更戻ることもできない、少しずつでも良いからこれからどうするか前を向いて考えなくてはいけないとにも気づきました。
そこから私は少しずつですが看護師に末っ子の世話をお願いすることで、自分の時間を確保し自分のこれからについて考えたり調べたりすることができました。
また、付き添いの時間をたまに少し短くすることで、その分上の子2人のお迎えを早く行って上の子達との関わりながら家事育児をして、夜は一緒に寝ることで生活リズムも整えるように心がけました。
この主任看護師からの提案は、たまたまとか思いつきでは出来ないと私は個人的に思っています。
と言うのも、病棟の看護師は毎日本当に多忙で、「猫の手でも借りたい」状況なので、付き添いの家族が食事の介助や入浴介助をしてくれのであれば1つでも2つでもお願いしたいと思っています。
そのような状況で、付き添いの家族がいるのに、看護師が自ら自分のやることを増やす提案って、何かよっぽどの理由がない限りしないと思います。
だからあの看護師は直接毎日私のことを見ていなくても、引き継ぎや記録等から私の状況を把握し、今の私に必要なことを提案したと考えています。
あの時のあの看護師の提案がなかったら、遅かれ早かれ私自身どこがが壊れていなのではないかと今でも思います。
自分のことも周囲のことにも目を向けず、目の前のことしか考えられずアクセルを踏み続けていた私にブレーキをかけてくれたのはあの看護師でした。
あそこでスイッチが切り替わったから、少しずつ考えを切り替えることができたし、少しずつ自分を労わることもできました。
起業のことを考えられるようになったのもあのきっかけがあったからです。
看護って素晴らしい
看護師の些細な言動がずっと人々の記憶に残り、後の人生に大きな影響を及ぼす程の力を持っていることって本当に多いのです。
これこそがまさに看護の偉大さだと私は思っています。
誰かの人生を左右するかもしれない、
誰かの記憶にずっと残るかもしれない、
誰かの心の中でずっとその人を励まし続けられるかもしれない、
その人の中にある生きる力を引き出せるかもしれない、
そんな目に見えない偉大な力が看護にはあると私は思っています。
世の中何万種類の仕事があるけど、こんなスーパーすごい仕事って、かなり限られていてすごく少ないのではないかと個人的には思っています。
だから私は看護がすごく大好きだし、そんな大好きな看護を毎日提供している看護師をめちゃくちゃ心底尊敬しています。
単なる疾病を治癒するという目標達成のためだけでなく、患者さんやご家族の生活がより豊かになるよう、患者や家族、同じ医療職ですら気付かない所で気を配り、見えない部分で出来る限りの工夫をしている看護師が本当にたくさんいます。
看護師は直接手を施す形で治療をすることはできませんが、間接的に毎日患者さんやご家族を支援し救っています。
私自身がそうだったように、看護師の些細な言動で励まされ、生きる希望を見出している患者さんやご家族はたくさんいらっしゃいます。
私はそんな看護師の200%味方でずっといたいし、そんな看護師を残りの人生をかけてずっと応援し続けたいと思っています。
そのために今の会社を設立しました。
そんな看護師のための会社でしたいことを次回の記事で記載したいと思います!
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