GHRDモザイクーインドでの発見:ナショナルスタッフからの要請:組織変革の中核を発見
#Asian Pathways to Globalization
#MainTopic:4-2-3 HQ's Deep Dive into "National HR/HRD" 1999-2004
#Related topics: Lessons from the HQ-driven NHRD experiments from 96-04
#Opinions & Suggestions are welcome from MC Global Network, esp. India!!!
"Incident No.4- [2-3]: NHRD Waves No.2 in HQ - Global Leadership Program フェーズ2[GLP-II]の萌芽+インド三菱での教訓 その⑤後編その4
#Demonstration of Bilingual Competence - Japanese version
⑤インド三菱との邂逅と初めてのHRD大規模コンサル(後編その4)
Bilingual Competence (バイリンガルコンピテンス)
これが、弊方の30年に亘るグローバル化の道程の結論である。そして、その気づきの始まりは1999年のインド三菱訪問であった。
先に述べたように、インド人社員は、「本店に対する要望は何か」」との弊方の質問に対し、それまで他のオフィスでは聞かれなかった重要な回答があった。
それは、本店からの「英文情報の不足」であった。その当時には、全社経営戦略に関する情報が英語で配布されていなかったので、それは納得しつつも驚きをもって受け止めたが、その後本社の国際人事施策として、即時に日英アイデンティカルのホームページを作ることを広報部に働きかけ、即時に同プロジェクトが開始される中、弊方が社内起業家の育成プログラムとしてGLP-II(フェーズ2)を検討した時には、最も重要な問題は全社経営情報ではなかったことに気が付いたのである。これについては、本店帰任後の全社施策の項で詳述する。
「優秀社員」を動機付け、やる気をもって活躍させる。この基本的なHRDが出来ない駐在員がところどころに散見されたことを思い起こした。
インドネシア駐在時の1993年頃、あるヴェテランシニアマネジャーに「今までの上司のうち、だれが一番『良い』上司だったか」「そして、誰が最低の上司であったか」を尋ねたことがある。賢明な彼は、具体的な名前を言うことは躊躇ったが、明らかに記憶の中で序列があると思われ、駐在員に期待する「機能」について明言した。その際、「最低の上司」によく我慢できたねと言ったところ、次のような返事があった。流石、当時で在籍20以上のヴェテラン社員である。
「どんなにイマイチの上司でも、5年間我慢すれば帰任するから、、、。」それを聴いて、弊方は苦笑いするしかなかった。
他のアジア諸国でも、若手の駐在員(RS)とシニアNSが対立してしまったとき、嫌がらせは、本社からの情報(主に日本語)の遮断であった。また、先に述べた弊方が主催したアセアンマネジメントセミナーで最高成績を獲得した若手マネジャーが辞めた主な理由が、「不明瞭(unclear)」でかつ「不公平(not fair)な」業績評価であったことは今だに鮮明な記憶として残っている。フェアでないことは、グローバルに共通の重大事であり、それが故にハイポテンシャルの優秀社員が早晩辞めてしまう事例は、弊方の記憶の中でも枚挙に暇がない。
上述のインドでの組織的、制度的、個別人財的な実体験は、台湾での事業投資セミナーと相俟って、2001年に弊方が国際人材開発室長となった時点で「即時に実践すべき全社グローバル施策群」を明確に決定したことをここで明記して置きたい。
この項(⑤)終わり。