私が隼人旅館館主、庄司庸平です。
はじめまして!
庄司庸平と申します。
山形県の海側、庄内地方の鶴岡市、湯田川温泉で隼人旅館という温泉旅館を営んでおります。
湯田川温泉 隼人旅館
創業不明、江戸時代の宝永年間(1700年代はじめ)に描かれた地図には既に旅館として記載されています。
8室の小さな旅館で、ほぼ家族経営。自慢は何といっても源泉かけ流しの湯量豊富な温泉です!湯田川温泉は源泉の温度が約42℃なので、加温も加水も一切なしの温泉が浴槽に毎分約70ℓ注がれています。
幕末に庄内藩の下、江戸市中取締りの任に就いていた【新徴組】の本部として使われた歴史があります。
こんな事やってきました
私は山形県鶴岡市高坂の農家の長男として生まれました。
父親がハンググライダーで空を飛ぶ人だったので、飛んでいる父親と交信するために9歳でアマチュア無線技士免許取得。(当時、山形県最年少取得)
小学5年生の時に読んだ本「空海さま」に感銘を受け、小学校の卒業アルバムには、将来の夢【僧侶】と書く。
10歳から空手を始め、松濤館、和道会、極真会、本部流を経験。
高校は空手部で、3年生の時に個人組手で東北大会準優勝。
現在は全日本空手道連盟公認3段。和道会鶴岡支部指導員。
中学は陸上部、専門は短距離とハードルと高跳び。ハードルは県大会には出場しましたが平凡な記録。高跳びは身長163㎝で175㎝の記録を残すが、その大会では身長180センチの奴が183㎝を跳んで優勝。身長+12㎝跳んだのに身長+3㎝しか跳んでない奴に敗れる。
高校では空手部(部長)と同時に、郷土史研究会(会長)、演劇部、写真同好会に所属、演劇では東北コンクールで優秀賞受賞。その後縁あって39歳の時に市民ミュージカル「蜂子の皇子物語」で蘇我馬子役で出演。この「蜂子の皇子物語」は令和4年に奈良県で公演するらしい。私は出ないけど。
15歳でエレクトリック・リべレーション、すなわち電気的啓示を得て、お年玉をはたいてベースギターを購入しバンドを結成。高校3年の時に高校生音楽祭に参加、1次、2次審査を通過し県予選LIVEへ出場するも全国LIVEへは出場叶わず。卒業後上京して活動を続け、25歳の時にとあるライブハウスのハコバンベーシストとして採用。夜な夜なオールディーズナンバーを中心に演奏して働く。現在も趣味でバンドは継続。
ハコバンだけじゃ飯は食っていけねーってので、昼はガラス屋で働いておりました。バルコニー施工技能士(国家資格)。
28歳で隼人旅館に婿入り。
35歳で羽黒派古修験道の山伏になる。山伏名【隆慶】。
生まれた時にもらった名前が兼子庸平。
結婚して庄司庸平に。
そして、山伏に生まれ変わって庄司隆慶。
兼子庸平 → 庄司隆慶
小学生までに知り合った人からはヨーヘイと呼ばれ、
中学生~結婚までの人からはカネコと呼ばれ、
結婚後に知り合った人からはショージと呼ばれ、
山伏仲間からはリューケイと呼ばれる…。
多分、次は屋号のハヤトと呼ばれるようになるだろうな…。
そして、現在42歳の私は湯田川温泉観光協会副会長、温泉組合副組合長。
どこに向かっているの?
あれやらこれやらやってきた私ですが、今の将来の夢は【鍛冶屋】です。
昔はどこの町にも鍛冶屋があり、農具や包丁などを作っていたものでした。
しかし、現代では町の鍛冶屋などほぼ絶滅。農具を買うのもホームセンターの時代になりました。しかし、ホームセンターには「ちょうどいい」やつが売って無いのです。
湯田川温泉の春の名物としてタケノコが有ります。
隼人旅館の所有する山にもタケノコが出ますので、私も毎年5月の約1か月間は早朝にタケノコ掘りをします。そのタケノコを掘る道具【トガ】を自分の手で作りたいのです。
さて、自己紹介は以上です。
noteでは隼人旅館の事、湯田川温泉の事、私が住む地域の歴史や民俗のことを書いていこうと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。