相棒小林快との物語 第二話 〜勝木の就職の行方〜
前回の話↓
学生最後の日本インカレも終わり、私は次の大一番日本選手権20km競歩に向けて、国体、高畠競歩、長崎競歩を歩いていた。
インカレ後も順調に練習は積めていたものの、次戦の国体ではアップの段階で異変を感じ失格。これが人生で初めての失格だった。
その後も怪我をして高畠競歩では全く振るわず5位。
次戦の長崎競歩ではタイムは速くはなかったものの、1着でゴール。
そこから12月、1月とうまく調子を上げていき、2月に入った頃の練習では15kmを当時の日本記録更新ペースである58分台で歩き、今までにないほどに調子がピークになりつつあった。
ブチッ
最終調整段階に入った日本選手権4日前。(3km+1km)×3の最後の1kmのスタート直後。ハムストリングスに痛みが走った。
診断はハムストリングスの軽度の肉離れ。
2月に行われる日本選手権は私にとって就職のかかった試合だった。痛み止めをのみ、テーピングを施し出場した。
その甲斐なく結果は10位。優勝も狙えると思って挑んだ大会は、入賞すらできず、就職を逃した。
その後も痛みを我慢したまま試合には出場したが、全く振るわずに東海大学を卒業。
無職での社会人1年目がスタートした。
第三話へ続く🚶♂️
次回、小林快と感動の再会?!🔥
第三話↓