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相棒小林快との物語 第三話 〜やはり小林快は歩くのをやめていた〜

前回のお話↓



無職となった私は実家に帰っていた。

親の脛をかじってまで競技を続けるのはどうも気が引けて、何度か競技を諦めようとした。

こんな競技は嫌いだと思い込もうとした。競歩を始めるきっかけをくれた児島大佑さんにも辞めたいと連絡を入れたりもした。

※児島大佑さん=私の大学時代の競歩コーチ。登場人物紹介も近日中に更新します。

いろいろ諦めるきっかけを作ってはみたが、結局辞めきれなかった。


辞めようとすればするほど、まだできる、こんなもんじゃないと心の奥底から競技に対する悔しい思いが込み上げてきた。

結局、就職活動やほんの少しのバイトをしながら競技を続けることにした。

娯楽は捨て、できる限りの時間を作り、競技に打ち込んだ。

地元福岡では、様々なご縁から指導の依頼なども受けてはいた。でも実際は指導をするどころではなく、自分の競技をどうにかしたい気持ちが強かった。

練習はほぼ毎日3部練習。その合間にも時間を作り補強やケアの時間を設け、これ以上ないほどにトレーニングを行った。

しかし練習とは裏腹に競技力は低下。4月5月と連戦したが、どれも高校生でも出せるくらいの記録でしか歩けず、歩型もどんどん悪くなっていった。

※歩型(ほけい)=競歩におけるフォームのこと。


福岡に帰ってから、思うようにいかないまま2ヶ月が過ぎた。


その5月の終わり頃。やってきたのは学生競技者の集まる関東インカレの会場。

私は前年度成績による表彰のため関東インカレの会場である日産スタジアムに顔を出していた。

大学関係者、後輩たちにも挨拶を済ませしばらくすると、この大会の競歩種目である10000m競歩の時間になった。

10000m競歩には私の母校である東海大学の後輩も出場する。私は後輩たちに声をかけるために召集場所に向かった。

召集場所に到着すると、既に選手たちは集まっていた。


?)何緊張してんの?!ガハハハっ!!

召集場所に到着すると、試合前なのに一際うるさいジャージ姿のやつがいる。

私は思わず声をかけた。


勝)なにしてんの?

?)冷やかしっす



小林快だった。


彼は選手たちがスタートに向かうまで召集場所には入らず、私と一緒に召集場所の外で終始騒がしくしていた。


大学3年生になった小林快はやはり歩くことをやめていた。


少し残念な気持ちになった私だったが、快と楽しく談笑し、なんだか気持ちが晴れた気がした。


第四話へ続く🚶‍♂️

次回、小林快が再び歩き出す!🔥

第四話↓


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