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だんだん
特養で働きだして間もない頃、画一的なケアが行われる中で、惰性で仕事をしていた。
時間でしか行われないトイレ誘導にオムツ交換。
闇雲に行われる全量摂取を目指した食事。
そして何より、一斉に行われる入浴。全ての人を一日で入れる為、まさに流れ作業的に進んでいく業務に、
「介護ってつまらんな」
と荒んでいたように思う。
そんな時だった。介護の楽しさを教えてくれたおばあさんと出会ったのは。
おばあさんはお風呂嫌いでなかなか入ってくださらず、いつも職員が無理やり引っ張ってお風呂に入ってもらってた。中国地方生まれのその方は、方言で喋る姿がとてもかわいらしかったが、無理やり行うその入浴の時だけは、
「わーー!何するだーー!!」
と叫んでいた。僕も介護職員であるため、その方をお風呂に入れなければならず、無理やり入ってもらっていた。叫び続けるおばあさん。とてもいたたまれない状況や、介護に、そしてその光景に慣れていく自分にも嫌気がさしていった。
そんな時、介護に熱い上司から、
「与えられた日常業務をこなすだけなら誰でもできる。素人と一緒や。ただ単にお風呂に入れるのは人体洗浄もや。その人が今よりもほんの少しでもより良い生活を送れるようにするのがプロ。その人に気持ちよく入ってもらえてこそ入浴介助や。」
と言われ衝撃が走ったのを覚えている。
俺は入浴介助をしていなかったのだ。
そこから試行錯誤の日々が始まった。何故かはわからないが、これを素通りすれば、自分はもう介護の世界ではやっていけないような気がした。
ある時、おばあさんは手紙が好きだということをふと思い出し、息子さんに協力していただきお手紙を書いてもらった。
「お母さんへ。今から面会に行くので、お風呂に入って待っててください。」
手紙の内容としてはおかしなものだったが、当時はなにか確信めいたものが自分の中であった。その手紙をおばあさんに渡すと…
「あら~息子が来るだかいな。先生、お風呂はどこですか??」
と言い、お風呂場まで案内すると、自ら服を脱ぎ出し、いそいそとお風呂に入っていかれた。
うおー!!!と一人舞い上がっていたのを今でも鮮明に覚えている。
そんな僕をよそに、おばあさんは鼻歌まじりでお湯に肩までどっぷり浸かり、
「先生、だんだんよ~」
と言われた。
だんだん??
それは、おばあさんの出身地方でありがとうという意味を持つ言葉だった。おばあさんからの初めての感謝の言葉をいただいたのだった。
胸を打つ激しい拍動と共に、これが介護か…今俺は介護をしたんだ…という実感を確かに感じ取った。
こちらこそありがとうございました。
とその場で伝えると、おばあさんはよくわかっていないような顔で笑っていた。
試行錯誤の末に上手くいくことは稀だ。思ったような結果が出ないことの方が圧倒的に多いのかもしれない。例え上手くいったとしても、定量化できない介護では評価をされることさえ難しい。
行われることへの対価こそ価値あるものとされる。
おばあさんを無理やり入れようが、気持ちよく入ってもらおうが、「入浴回数一回」には変わらない。
僕が行ったことは無価値なのか。
もうそんなことはどうだって良くなった。
「先生、だんだんよ~」
おばあさんの鼻歌と“だんだん”が、僕の心をこの世界から掴んで離さないのだ。