兄ちゃん、トイレ連れてえな
系列施設から入居されたその方は、耳がほとんど聞こえなかった。それでも常に誰かと会話してるかの如く、大きな声で誰かと喋っていた。
ただひたすらおばあさんは自己の世界に入り浸る。目線は合うが、果たして僕とおばあさんは出会っているのか。話しかけても反応はあまりない。それは、耳が聞こえないからではない。
そんな中で問題になったのが排泄だった。おばあさんはオムツを着けていて、常に濡れた状態だった。オムツを替えようとすると、凄まじい拒否が見られた。当たり前の反応だが、現実世界からの強引な介入が、おばあさんの世界を混乱させた。
「なんやあんた~!!キチ○イか~!!」
おばあさんからすると、それは至極真っ当なセリフであった。急に訳の分からないやつが自分のまたぐらを触ろうとする。おばあさんの見当識はある意味正常だ。ただ、そう言われている時だけが、唯一おばあさんと出会っている時だった。とても寂しい出会いだ。
そんなおばあさんにオムツ外しを試みようとした。当然だが反対する声も多く、今更何になる、嫌がっているのに可哀想、と風当たりはキツかったが、なんとかおばあさんには当たり前の生活を少しでも感じてほしかったのだ。長年オムツを当てられ、ずっと濡れたその部分は、もう冷たさも感じなくなっていたのだ。
「あんた何するんや~!!○○人か~!!」
差別用語を繰り返し、僕に唾を吐きかけるその姿は、現実世界への登場への可能性を見いだせるものだった。おばあさんはまだまだ元気だ。
とはいっても、無作為にトイレに連れていっても、嫌がられる光景がみんなに焼き付くだけで、オムツ外しとはいえない。そこで、筆談によって尿意に訴えかけることにした。おばあさんの世界から、こちらの世界へ出てきてもらおうとした。
「おばあさん、おしっこしたい?」
「したない!」
「おばあさん、トイレ行っとこか?」
「あんた行き!!」
「おばあさん、おしっこ濡れてるんちゃうかな?」
「ない!あんたキチ○イか~!」
繰り返される押し問答に、周りは冷ややかな視線を送っていたようだが、徐々に反応を見せつつあるおばあさんに、嬉しさが込み上げてきて、僕が視線に気づくことはなかった。
そしてある日のこと。
「兄ちゃん、トイレ連れてえな…」
初めてのおばあさんからの訴えに、驚嘆しながらも慌ててトイレに。座った瞬間に音を立てて用をたしたおばあさん。その音が聞こえているかのように、満面の笑みで、
「兄ちゃん、おおきにな」
と初めてしっかり目線を合わせてお礼を言われた。
おばあさんとようやく出会えた気がした。
そこからはとんとん拍子に話を進めた。息子さんに綿パンツをお願いすると、母はまだおしっこがわかるんですか!と驚かれ、すぐに数枚買ってこられた。
「あんたパンツ買うてきたんか!」
息子さんを見ておばあさんは笑っていた。
その日からおばあさんのおしっこの音が、毎日耳に入ってくるようになった。これこそ介護職至福のひとときだ。次第におばあさんは誰かと喋ることはなくなっていった。現実世界に居場所を見い出せたのかもしれない。たった一つ。トイレに座るという行為を通して。
必ずしもオムツをしないということが目的なのではない。それはあくまで方向性だ。
おばあさんに少しでも当たり前の生活を感じてもらいたい。それだけのために、試行錯誤していくだけだ。
難しいことはない。おばあさんの世界に耳をかたむける。そうやって生活を一緒に手作りしていくだけだ。
兄ちゃん、トイレ連れてえな。
ええよ、いつでも連れてきますがな。
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