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ケアの規模よりケアの中身で介護を語れよ!


入職当時、ユニットケアが何たるものかなど、何も分からず現場に入った。
教科書に載ってたな、くらいにしか思っておらず、自分がユニットケアを行っているなど微塵も感じでいなかった。
あ~個室なんだ~くらい。

当時はこれが新しいケアの形、という触れ込みで、全室個室や家庭的雰囲気を大々的にアピールしていたように思う。グループホームの良いところを取り入れた、まさにこれからの介護を支える!くらい気合いの入ったものだった。

ただ、働き出してから家庭的雰囲気を感じることは一切なかった。
そこには旧態依然とした画一的なケアしか存在していなかったからだ。
定時誘導という名の職員都合の排泄ケア。
決められた時間でしか食べられない食事ケア。
何よりも週二回、お風呂の日を決めてその日全員お風呂に入れるので、それ以外は何もしないという入浴ケア。
素人同然の新人時代でも、これが異様な光景であるということがわかった。
わかったところで意思も言葉も持てていなかった当時は為す術もなかった。
そこからしばらくして、当時のリーダー達が一念発起して、局所的なケアの改革が始まっていったのだった。


道具に罪はない
ユニットケアは道具だ。それは目的ではなくて手段にしか過ぎないということ。肝心要のどういった介護を目指すのかということが、すっぽり抜けていては元も子もない。
老いや障害により、自分らしく生きれなくなったお年寄りがいる。
その方に対して、こんな生き方があるんだぜ!と証明するための一つの道具がユニットケアだということだ。
つまり上手に使えば最上の武器にもなり得るし、下手に使えば数多くの分断を生む諸刃の剣だ。
なじみの関係が作りやすいというのも、メリットであると同時に、逃げ場のない関係性ができるというデメリットもあるということだ。実際に顔を合わすだけで喧嘩になってしまうおじいさんとおばあさんがいて四苦八苦した。
そして当然それはそこで働く職員にも同じことが言えるのだ。
基本的に日中は二人勤務になることが多い。マンツーマン対応がしやすく、個別ケアが行える、という側面は確かにある。だがそれはやはり目的がしっかりと共有されてこそだ。
例えば一人が入浴介助に入れば、ほぼワンオペ。常に思考と決断の連続に追われることになる。だから何も考えなくても済む定時誘導やオムツ、決められた食事が採用され易いのだ。



環境を整えるということが僕らの仕事だ。その環境をパッケージ化できればそれは楽であるし、再現性もあるかのように感じる。
だがそろそろ目を覚まさなきゃいけない。
ケアは規模ではない。
どのようなケアを行うのか。
そこを目的とし、そこに向かうまでの方針を決め、方法論をみんなで話し合うのだ。

ユニットケアは成功だったか。
初期のグループホームはどうだった。
そもそも老健は在宅復帰施設となりえたか。
回廊式の施設は今どうなっている。

今また新たに科学的介護の名のもとにLIFEが世間の話題をかっさらっている。申請は、やり方は、加算は。

それらを話題にするのが無駄だとは思わない。とても大切なことだと思う。

だがもういいだろう。
これまでの二の舞はもうたくさんだ。

そろそろケアの中身で介護を語ろうぜ。



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