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風呂=トイレ?
とあるおばあさんはお風呂の最中に排便をされることが多々あった。
「うそ…出てる…?ごめんねぇ…」
笑顔を浮かべるその顔は、とても悲しそうだ。
その悲しさは僕らには計り知れないものがあるだろう。
いつも謝るおばあさん。だが中にはお風呂はトイレやから別にいいやん、という意味不明な言い訳をする職員も現れてしまう。
風呂=トイレ?
仮にどこかの遠い国にそのような文化が百歩譲ってあったとしても、ここは日本であり、そのような慣習のある地域に住んでいたという情報を得たことは、今まで一度もない。
その人が培ってきた生活習慣を大切にすることが、その人の尊厳を守ることそのものだ。
だとするなら風呂=トイレを八十年と繰り返してきた人にはそうするべきだろう。
たがそんな人は皆無だ。その言葉の裏には、めんどくさいから、楽だからが隠されているのだろう。
突発的に出てしまうことはあるかもしれない。それに対しては、何も言わずそっと流して処理してあげればいい。決してそのことが悪いことではないのだから。
そのおばあさんにはまず、出ている便は軟らかいことが多かったため、下剤を少しずつ減らしてもらった。そして排便パターンの確認。おばあさんはおよそ四日、五日に一回しっかりとした排便があることがわかった。
なのでそれまでは刺激性の下剤は使用を待ってみようということに。
さらに排尿のパターンも考慮し、タイミングをみてトイレにお連れする。すると失禁も減少していったので、リハビリパンツの使用から、綿パンツとパッドだけに。それとほぼ同時に、排便もほぼ確立したので、お風呂で便が出てしまうこともほぼなくなった。
「えへへっ汚れてないねぇ」
笑顔を浮かべるその顔は、本当に嬉しそうだった。
ケアは完璧に行うことは難しいかもしれない。
だが、常に試行錯誤し、少しでもその人らしい生活の実現に向けた方向性は忘れてはならない。
この方向性を忘れてしまった時、人はどうしても楽な方に流れてしまう。
お風呂はトイレではない。
こんな簡単なことさえ、理念なき場では常識となってしまうのだ。
生活行為はその場に合った場所で行おう。
当たり前の生活を取り戻そう。そのための僕らでありたい。
おばあさんの笑顔は、今も変わらず輝いている。