のんびりまったり心配されたり
施設は生活の場だ。そんな生活の場である施設では、日夜そこで業務を遂行する職員が、バタバタと走り回っている。こなさなければならないことが多すぎるので、ある程度仕方ないことなのかもされないが、果たしてそういった場で人は落ち着けるだろうか。
「〇〇さーーん!!おトイレこっちー!!」というような叫び声が聞こえたり、あちらこちらと同じ場所を行ったり来たりする職員。轟音をたてる配膳車。なかなかに騒がしい毎日が続く。
そういった現実を目の当たりにしながら、少しでも環境を改善し、過ごしやすい空間を、お年寄りと一緒に作り上げようとするのが、介護職の重要な仕事だ。ただ、本当にそれだけでいいのだろうか。そこには依然として、介護をする側される側、という関係性しか生じていない。
支援する対象としかみない僕らは、お年寄りからどのようにみられているのだろうか。
なので時間が空いた時、普通ならその浮いた時間で何か別の業務や、終わっていないタスクに手を出してしまいそうだが、あえてそういったことを行わず、なるべくお年寄りと一緒にボーッとすることにした。本当に何もしない。「何もしない」ことをすることにした。
こんな自分も一応は役職者である。そのリーダーたる自分が、業務中に何もしないとは。いや、これも立派な仕事だ。いやいや、仕事にしてしまっては結局のところダメなのではないか。仕事から離れてお年寄りと一緒にいるから意味があるんだ。ではそうすると賃金を貰うことって…ただボーッとするのも簡単ではないことに気づいた。
最初は戸惑いつつも、最近は慣れたようにただ単にボーッとしている。おばあさんの初恋の話を聞いたり、おじいさんの指がないのに鼻毛を抜こうと四苦八苦してるのをじっと見てたり、サスペンスを観て一緒に悲鳴をあげたり。
そうだ、生活は本来、こんなゆったりとした時間が流れているはずだ。
僕らはお年寄りの生活環境を整えていくのが仕事だ。ただそれだけでは完結しない。常に最善を求めていく姿勢はもちろん持っておきたいが、そんなもの全部放り投げて、ただ単に一緒にボーッとする時間も大切にしたい。それこそが生活の場だと思うから。
そう確信を持って今日も一緒にテレビを観てる。そんな時、高校野球を15分も観ていて、ふとおばあさんから、
「仕事せんでええの…?」
と心配されたのは内緒だ。
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