野次馬
土曜の夕方、ミスドに行きたくて車を走らせていると、対向車線に複数のパトカーと救急車、そして警察やレスキュー隊が辺りを忙しなく動いている。その先には横転した乗用車と横たわっている女性と道路の脇に座り込みながら警察の事情聴取を受ける男性の姿がある。僕はその騒然とした状況を目の当たりにして心が締め付けられた、二つの意味で。
一つは被害者について。一瞬だったのでよく把握できなかったが、自分と同じくらいの歳の女性が倒れているように見えた。これから先の長い人生を交通事故で途絶えさすのはあまりにももったいないし、やりきれない。どうか無事を願うだけだ。
もう一つはその事故現場の周りに集まった野次馬についてだ。おばちゃんふたりが、『若いのにかわいそうね』顔で横たわる被害者女性を心配そうに見つめていた。
こういう時、僕は加害者男性側の気持ちを考えてしまう(※実際、どちらが加害者でどちらが被害者かは分からないし、どちらも加害者の可能性だってある。けど状況を見る限り、僕は女性が被害者、男性が加害者と把握した)。事故を起こして、被害者を出してしまったのだから、ただでさえ被害者への償い、自分への怒りを感じているだろうに、そこに野次馬からの冷たい視線を浴びたらどういう気持ちになるだろうか。奈落の底に落とされた人に対して、上から冷たい水をかける必要はあるのか。そんなことを考えてしまう。自分がその立場だったら今すぐに死んでしまいたいと思うだろう。
高校3年生の時、大学入試のため、母親と受験大学の下見に行った。同じように交通事故があり、被害者と加害者の姿があった。周りをゆく歩行者は皆、被害男性を心配そうに見た後、『あいつがやったのか』顔で加害男性を睨みつける。その雰囲気がとても怖かった。
それと同じことを母親がやったのだ。ショックだった、嫌だった、恥ずかしかった。僕はなんでそんなことをするのかと怒った。
自分が全て正しいとは思わない。けど事故現場を興味本位で覗くことは間違っていると思う。そんなことを思い出した土曜の夕方を過ごした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?