感覚を教える
「四年ほど前に六十代の男性指導者が、生徒のクラリネットを吹いてそのまま返した、ということがあった」というニュース記事を先日読んだ。かなり批判めいた書きぶりで、セクハラとか気持ち悪いとか言う文言が並んでいた。
私はこの記事に首を傾げた。私の中ではこの指導法は「あり」だからだ。
クラリネットのことしかわからないが、指導者は生徒のセッティングで吹いてみる、という必要があると思う。セッティングとは主に口周りの楽器が鳴る仕掛けの事である。
マウスピースは消耗品で、劣化すると反応が悪くなり良い音はしない。ピッチコントロールにも苦労するようになる。外観上明らかにリードを着ける面がツルツルになっているとか、欠けているとかなら見ればわかるが、そうでなければ吹いてみるしか判別方法はない。そして余程慣れないうちはこの感覚はわからない。
リード(振動媒体。ケーンと言う葦の一種で出来ている)は一枚一枚よく鳴るポイントが違う。同じものは二つとなく、中央だったり、やや下だったり、右寄りだったりする。見ても外観では分からない。大体の見当はつくが、未だに吹いてみてやっと「あ、こうなのか」と思うことが八割くらいある。鳴るポイントによってマウスピースへのセッティングの仕方も異なる。リードはやはり吹いてみなければわからない。そして初心者ほど、この感覚はわからないものである。
リード選びはプロでも難しいものなのだ。
なんだか鳴らないと思ったら、楽器が壊れていたなんてこともざらにある。学校の楽器は、特に公立の学校だと結構ほったらかしにされていることが多い。メンテナンスにまで十分お金をかけられないという状況もある。だから生徒自身は悪くないのに、ちっとも鳴らない時は楽器を疑ってみる必要がある。けれど、その楽器で吹き始めた生徒が楽器の不調に気づくのは難しい。先生に吹いてもらって初めて気付いた、ということもよく聞く。
「ギャー間接キス!」という声が聞こえてきそうだが、そんなことを言うなら私はK先生と何千回間接キスをしたことか。「どうしてそんな音になります?貸してごらんなさい」と言われれば素直に楽器を差し出す。勿論、クリーナーなどでマウスピースを拭くのはエチケットとしてお互いが行うが、自分のセッティングを吹いて確認してもらえるなんて、最高の指導だと感じる。男とか女とか、そういう意識は全く存在しない。
恐らくK先生も、ご自分がそういう指導を受けて来られたのだと思う。
このご時世、そういう指導の仕方は減っているとは思うが。
「呼吸法の指導と称して腹を触った」とも報じられていたが、これだってあるあるだ。私も経験がある。先生の腹(というより背中)を触らせてもらったことも何度もある(勿論服の上からである)。
楽器をしっかり鳴らすには、腹式呼吸をしっかりすることが最優先だ。息を吐ききって限界まで吸う。この時肩は上がらない。横隔膜が下がり肺の容積が増え、腹と言うより腰の背中側が膨らむような感じになる。プロの息の入れ方はそれはそれは凄い。
言葉で言うより、触らせる方が早い。「うわっ、こんなに息って入るんや」と意識するとしないでは、その後の練習成果は随分違う。
お互い風邪をひいている時などは自己申告し、人の楽器を吹くことはしない。そうでない時も吹いた後は必ず拭いて返す。そこは最低限のマナーである。
腰に手をやる時もそうだが、先生は「かまいませんか?」といつも聞いてくれた。「昨今は気を付けないと、すぐにセクハラになってしまいますんで」と冗談交じりに仰っていたのを思い出す。
ご本人には他意がないのに、いちいち大変なことである。
その指導者は先生のような「事前の声かけ」がなかったのかな、と思う。そういう意味では感覚的に『昭和』な人だったんだろう。私も例えば子供が男性指導者に吹いた楽器をそのまま渡された、と言って気持ち悪がったら、「そんなん、ありやで」とは言えない。気持ち悪いと感じる感覚には個人差があるからだ。
ただ、楽器演奏の指導は言葉だけでは無理がある。身体を使うスポーツなんかも、きっと同じようなことがあるだろう。中には不届き者も存在するかもしれないが、大多数の指導者はそれを「良かれ」と思ってやっているのだと思う。「感覚」を言葉で教えることは、不可能とは言わないがかなり難しい。
面白がってやみくもに糾弾する前に、報道する方にはそこのところをわかって頂ければと思う。今回は私の読む限り、残念ながらそういう記述は見受けられなかった。
多くの音楽家の卵たちにより素晴らしい指導がなされることを、陰ながら願っている。