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在宅介護日誌 2022年11月14日(月)

今朝方5時半ごろナースコール が鳴ったので慌てて父の元へ。
母も起きた。
2時の時におむつを変えなかったので大丈夫かな?とは思ったが、結構な量をしていた。
とりあえず全部一式換え、おしりにヘパリン を塗りたくった。
床ずれは絶対させない!
おむつを綺麗にして、父が「ばあちゃんは、手首大丈夫?」と聞こえるか聞こえないかのか細い声で言った。
こんな状況でも、ちゃんと気遣える、母を思える人なのだ。
大丈夫よと、母が言う。
起床時間まで後少しだったので、母は起きていたようだ。
私は部屋で寝かせてもらった。

起きると、6時ごろにまたトイレをしたらしい。
ヘパリン も塗ったとのこと。
今日は朝に訪問リハビリが入っている。用意もしなければ。

もう母と私は食欲がないので軽めの朝ごはん。
父に薬を飲ませたいが起きる気配がない。グッと具合が悪くなっている。
リハビリ大丈夫だろうか?急いで支度をしていたら訪問リハビリの方がいらした。
パルスオキシメーターで血中酸素濃度を毎回測っているのだが、今日は89〜93%だ。…これはすごくキツいはず。
リハビリの人も何度も測り直していた。起き上がることがキツいので、寝たまま出来る範囲でやってもらった。
リハビリマッサージが終わって担当の方に、これから来る看護士さんに、父がお風呂に入ると言っているのだけど、血中酸素濃度を見てもらってどうするか検討してください、と伝えてもらった。

私は予約していた整骨院へ。
1週間経ってこの硬さに戻るのはヤバいですねとほぐしてもらった。
身体が悲鳴をあげているのは承知しているが、休めない状況が続いているからしょうがない。

戻ってきてしばらくすると看護士さんが来た。血圧118/79、脈拍129だった。脈は全力疾走している時と同じくらい。相当しんどいはず。
とりあえずお風呂は無しにして、足湯とお下の洗浄、あと蒸しタオル拭きをしてもらった。
寝たままの着替えが至難の技で、看護士さんにやってもらった。薬が飲めていないことをお伝えすると、すぐに訪問医の先生に連絡をしてくれた。現状を報告すると、今日来てくれることに。
先週の金曜日に父と最後どうするかについて話をしていて、モルヒネの使用を検討しても良いんじゃないか、先生に今度相談しよう、と話していたところだった。
痰を出そうと父がオエオエいっている。ティッシュに取った痰は血が混じっていた。母が大丈夫?と聞くと「大丈夫じゃない」と答えたそうだ。

先生が来て、今日の状況、痰のこと、モルヒネの検討を話した。そして父自身もか細い声で「モルヒネ」と言った。
そして、がんセンターは行かない、最後は自宅で、というジェスチャーをしたので通訳した。
先生はモルヒネと痰を抑える薬、呼吸をしやすくする薬を混ぜた注射をセッティングした。父のお腹にコードが繋がれた針が刺さる。テレビで見たことのあるレスキューだ。痛い時にボタンを押して薬が追加されるやつだ。
見ていて涙が出たが、でも説明を聞くのは私なのでしっかりせねば。
仕様と注意事項を聞き、先生が帰り際、モルヒネを自分から言うということは相当キツかったのだと思いますよ。ごく少量のモルヒネから始めています。もう体力が限界に来ているので、量が多いと呼吸が止まるので、徐々に増やします。おそらくもって今週かも。ご兄弟いらっしゃるなら早めに来てもらってください。明日また薬の調整に来ます。とのこと。
母は聞こえてないので、よかった〜とニコニコしていたが、耳元で先生の話を通訳すると唖然とした顔をしていた。そして、我慢するから、無理にがんセンター行くから、とか言い出したので、母に、それはお父さんが全部自分で決めたことだから、良いんだよ。納得しなきゃダメでしょ。と諭した。
父の状況と母の態度に逃げ出したくなる気持ちでいっぱいだった。

姉たちに今週はどうなるか分からんというLINEをした。親戚にも連絡してもらった。仕事仲間にもパートナーにも連絡をした。

夜ご飯はカニクリームコロッケを買っていたのでサラダとそれを。
昨日の残りの焼きそばでなんとか腹を満たした。
味とかよく分からなかった。


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