後日日誌 一年後 2023年11月16日(木)
昨日で父が亡くなって丸一年。
父の昔好きだったウィスキーをお供えした。
父が亡くなってから
母の事務手続きや母一人では必要で無い家具の処分、仏壇の下見など私がいる間にやっておけることは大体は年内に片付けた。
15日が過ぎて、母をすぐさま以前に通っていたカーブスに通わせた。
1ヶ月後にはコミュニティーである卓球サークルも再開してもらった。
父の車での送迎がなくなったので、バスで自力で行ってもらう。
とにかく動いて友達に会って家族以外の人と話すことが
心と体には大事なのではないかと考えた。
整骨院にも引き続き通ってもらうことにした。
整骨院の先生には「様子がおかしかったら直ぐお知らせください」とお伝えし、私が福岡に帰るたびに整骨院に伺って施術をしてもらいながら母の様子を聞くようにした。
姉は週一で子供を連れて行って見てくれるようなので安心。
あとtimetreeのアプリで用事を入れてもらうようにしたので、離れていても生存確認ができるようにした。
年が明け、母の用事という用事を済ませ
横浜に戻ると何事もなかったような生活。
父はこの世から居なくなったけど、昔から単身赴任でずっと居なかった人だった。そんな日々が続いている感じがしている。
ふっと沸き起こる悲しみと後悔で感情が乱れることがあったが
時間が経つとその回数も徐々に減っていった。
癌という病気がどのような経過を辿っていくのかを知ってしまったため
「癌になった」「癌で亡くなった」ということを聞くと
その先や経過などが分かるようになり、ものすごく切なくなる。
ご家族にしてあげれることは、ただただ話を聞いて心を寄せることしか出来ないことを知った。
治る癌が増えたとはいえ、それがまだまだごく一部で全ての人が当てはまるわけでは無い。
余命数ヶ月と言われても何年も生きた人がいる、とか聞くが、それはほんのごく一部で、よっぽど薬が合ったのか、その人の体力が人並み以上にあったのか。ほとんどはevidenceで言われている通りの経過を人間は辿っていくんだなと思い知った。
いつかは自分も死ぬわけで
それは自然の摂理なわけで
死が「とても怖いもの」とは思わなくなった。
今では母と当時のことを
ゲラゲラ笑いながら話せるようになった。
それこそが父にとっての供らいでもあるような気がする。
母には終活をしっかりしてもらっているので
あとは思い残すことなく
この世を楽しみ尽くしてほしい。
そして母もこの世から居なくなったら
私は両親の遺骨をダイヤモンドにするという任務を任されている。
なので私はその日までは生きてなければならない。
生きる目標も父との約束でもらえた。
1年経った今、父に対して
ほんとお疲れ様でした。という労いの気持ちになっている。
そんなこんなで昨日は父にお供えしたウィスキーを
ハイボールにして頂いた。
なかなかこういうの良いんじゃないかなって思っている。
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