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後日日誌 2022年11月16日(水)

あの後、葬儀屋さんに連絡を入れ、自宅で保管か葬儀屋で保管のどちらかを選ぶのだが、この頃の母はとても心配性で何かあるとパニックになるので、葬儀屋で保管してもらうことにした。

私たちは夜ご飯がまだだったので、
姉に死亡診断書のコピーとお寿司を買ってきてもらった。
みんなでお寿司を食べ、車で来ている姉以外はビールで乾杯をした。
とりあえずお疲れ様!よく頑張った!と母を労った。
私も福岡にいる時は飲まなかったので
久しぶりにビールをいただいた。
どうだった、あーだった、笑ったり泣いたりしていた。

父に触ると冷たくて。
ちょっと前まで暖かかったのに。

葬儀屋さんが来た。
家はマンションの5階。
エレベーターにタンカーが乗らないので
布タンカーで運びます。
お手伝いを二人ほどお願いします。とのことで、
父は死人のように布を顔に置かれて、
そして布に包まれた。
布タンカーで私も手伝い家から出した。
エレベーターに少し立てて乗せ、
タンカーに運んだ。
そして父は葬儀屋に運ばれて行ってしまった。

父が居なくなって、
なんとなく単身赴任の時のいつもの感じがした。
私が知っている家族での日常は
女4人での生活だった。
父とこんなに長く一緒に暮らしたことは無かった。
こんなにわがままで大変な人だと思わなかったが、とても楽しかった。
そして父と一緒の母が楽しそうだった。

姉たちはそれぞれの家に帰り、
母と今日はゆっくり寝よう。
アラームは消して遅くまで寝ようねと言って眠りについた。
でも心臓がバクバクしていて眠れなかった。
これで良かったのか、父は苦しく無かっただろうか、
あの読み取れなかったジェスチャーは何だったのか
もう答え合わせができないけれど、
頭の中でグルグルしていた。

朝5時に目が覚めた。
また頭の中をグルグルして眠れなくなってしまった。
少し眠って目が覚めた。
家全体が妙に静かで怖かった。
父が居ない。
あんなに朝から気を張って父を見ていたのに。
急に寂しくなってしまった。

今日二人での朝食。
静かすぎたので、TVをつけた。
世の中はいったいどうなっているかも分からない。
ご飯を食べ終わると
母はガサゴソガサゴソ何か押し入れから出している。
喪服の着物だった。
あれがない、これがないとまた慌てている。
あ、あの人にも連絡しなきゃ、この人にも。
と言うので、式の日取りは姉が打ち合わせして決めるから、
決まったら連絡しよう、
と言って落ち着かせた。
それでもタンスをひっくり返し出したので、
ちょっと待って、落ち着いて、ゆっくりやろうよ、と言うと、
ああそうかと言って一瞬は落ち着くが、
それでも慌ただしくしているので、
もう放っておいた。

姉が朝から葬儀屋と打ち合わせをして、
家に来てくれた。

3人で銀行に行くついでに、とりあえずお昼を外で食べようと、
母を連れ出した。
お昼は出汁ステーキ定食を。
おいしい白飯とタンパク質。
久しぶりにゆっくりご飯を食べた。
ゆっくりしすぎて15時からの母の美容院が間に合わなくなりそうで、急いで店を出た。

しばらく家にいて、父と一緒に燃やすものを考えていた。
この前みんなで撮った写真が良いな。
孫も父の兄弟も私たち子供も皆んな写っている。
急いでコンビニでプリントアウトした。

母が戻ってきて父の友達が来て、葬式の話をし、母はとりあえず身体が疲れているので整骨院へ行ってもらった。

そして父がいる葬儀屋の控え室へ向かった。
今夜は私一人、一緒に泊まることにした。
母も泊まりたそうだった。
一緒にいたそうだったが明日もあるし、
家でゆっくり寝て欲しいので帰ってもらった。

父が横たわっている。
白い布をかけてお布団に寝ている。
白い布をとると寝ている父がいる。
確かに父だ。
父だがそこにはもう居ない。
冷たくて、よく出来たお人形みたいだった。
父がいると思うと安心した。
少しも怖く無かった。
触ったり撫でたりした。
今夜はゆっくり父と話しながら過ごそう。
謝りたいこともあるし、
みんなには内緒にしていたけど
聞いて欲しいことがあった。

もう、この姿も明後日には消えてしまう。
もう、二度と会えなくなる。
この気持ちをなんと言ったらいいのだろう。
言葉にならない。

今日は母が家で一人で寂しいだろうから
頑張って行ってね、と伝えた。
伝わると良いな。

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