在宅介護日誌 2022年10月15日(土)
帰省してから半月。早かったような遅かったような。この1週間は早かった。順応してきたのだろう。
朝も父が病気になる前の如く、リビングからTVの音がしている。髭剃りの音も。そういや何か足りないなと思っていたことに気づいた。朝からゴルフの素振りをしてスポンジでできたボールをパコーンパコーンと打つ音である。ゴルフが大好きで定年退職後はしょっちゅうゴルフに行っていたらしい。なんならコロナのワクチン摂取する日も、癌が判明した後も。
ゴルフクラブは次女の旦那さんに2本、残りはいつも病院に連れて行ってくれる友達にあげるそうだ。私には分からないが良いクラブが揃っているらしい。
朝ごはんは父はホットケーキを(冷凍のものだが)3/4枚食べた。バターをたっぷり蜂蜜もたっぷり。味が濃いのが好きなのである。今日も食べれたことは良かった。
昼前に父がシャワーを浴びると言う。輸液を外すのだがCVポートを覆っているテープが少し剥がれていた。覆うために貼り直さなければならないのだが母がパニックを起こしている。とりあえず父にはシャワー用にビニールで覆った処置をして入ってもらった。上がってからテープを張り替えよう、と落ち着かせるが、同じテープがないと焦っている。同じのはないけど前に購入したものがあるからそれで大丈夫よと伝える。父が上がってきたので剥がれかけのテープを剥がすのだが、輸液のコードにもくっついていて剥がしにくい。母が手こずってパニックを起こしているので、とにかく落ち着かせなきゃと大丈夫よー大丈夫よーと低い声でゆっくり喋った。手が届かない見えないと言うので私が変わってあげた。
私がいない時があるのでなるべくパニックにならずに冷静に対処してほしいが、んーーー。なかなか難しいか。私が72歳になったとして、手も変形性関節炎を患っていて目も耳も遠かったら。。。やっぱり無理だよなーと思う。
昼ごはんの肉うどんを作り終えた時には父は眠ってしまった。我々は先に食べてしまったのだがまだ寝ていた。このテープの取り替えのやり取りで精神的にも疲れたのだろう。しばらく寝かせておいた。
目覚めてからご飯は?と聞くと「要らない」と。困った。
14時には父の友人たちが来てくれた。少しは元気になったが前回ほどではない気がする。声も少し出しにくそうだ。食事について「少し食べてもういいやーってなる」と言っていた。
一人の方が、母も似た境遇で正月は厳しいと言われたが家に帰ってきたらご飯が食べれるようになって元気になって3年も生きた、と言っていた。それは良い話だ。父も食べて元気になって長生きしてほしい。
沢山りんごをもらったのでどうしよう。
夕方から父を整骨院へ連れて行った。車椅子で押しかけて申し訳ない。対応してくださった先生方に感謝である。やはり痩せてきているので施術側もおっかなびっくりだと思う。父がイマイチな顔をしているので力が弱かったたかな?少し外にも出て良い気分転換にはなったと思う。
火曜日は一家でお世話になるみたいで申し訳ないし恥ずかしいが、助かる。
戻ってくるとすぐ姉一家が来た。父が孫と焼肉をしたいと言っていたらしい。姉の旦那さんが素早く食材を分け、私はアシスタント。姉は父のネットバンキングのやり方を教えている。
準備がひと段落したところで輸液の交換を。母はいつもと違う状況でなので手順を間違えようとした。…大丈夫かな。
食事時は父から離れた席に座っていたのでどのくらい食べたのかは分からないが、孫が横に座っての食事は嬉しそうだった。
お粥、半分くらいは食べただろうか…お肉は少し食べたのだろうか。お昼食べてなかったから心配だ。
【父】
・お粥
・焼肉
【私たち】
・焼肉
孫たちがわちゃわちゃしている間にクライマックスシリーズ、ホークスが負けてしまった。あぁぁぁぁぁ。辛いなぁ。
次は何だろう。W杯かな?何か熱くさせてもらえるものがあるといいな。
姉にとりあえず父というより母の状況を伝えてサポートが必要だと伝えた。私がいない時に出来れば居てほしい。立っていると辛くなるので座らせて、あまり手に力が入るようなことはやってあげてほしいと。
あれこれやってしまうとボケてしまうよと言うが、身体的痛みはやはり身体にも頭にも良くないような気がするのでそこは何とかしてあげたい。
今晩は孫たちもお泊まり。
父は寝れるだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?