「#Jリーグの日」によせて。

 今日5月15日は、Jリーグのお誕生日。

 1993年生まれの28歳だそうです。おめでとうございます。ぱちぱちぱち。

 僕の場合は、父が出張でよく全日空を利用していたので、全日空からJリーグ開幕前から「こんどサッカーがプロ化しますよ」「93年からですよ」「全日空もサッカーチームがありますよ」「ASフリューゲルスというチーム名で参加しますよ」「横浜にお住まいですよね、ご近所の三ツ沢球技場がホームスタジアムですよ」「観に来てくださいよ」「グッズ買ってくださいよ」「ファンクラブもありますよ」「入りませんか?入りませんか?」と、ダイレクトメールが来たりしていた。

 当時、とくべつ、サッカーに興味がなかった僕でも「ちょっと応援しちゃおうかな?」と思っちゃうくらいに押してきていた。世間も盛り上がっていたしね。

 特に、横浜には社会人サッカーの名門である日産自動車のチームもあって、そちらも同じく三ツ沢球技場をホームスタジアムとしていて、同じ街、同じスタジアムを本拠地とする「横浜ダービー」の現場である、ということも興味をそそられた。当時我が家の自家用車は「ブルーバードお前の時代(ジュリー)」だったが関係はない。

 そんなわけで表面に出すこともなく、ASフリューゲルスをちょっぴり応援することを、心の片隅で誓った92年の秋だった。

 いよいよ開幕が近づいて、当時芸能界No.1サッカー芸人だった明石家さんまが司会のJリーグ特番を民放で放映されているのを観た。その中で、横浜市民無作為抽出100人「横浜マリノスと横浜フリューゲルス。どちらをご存知ですか」というアンケートの結果を発表していた。

 結果は円グラフで発表された。円グラフというのは、12時の位置、つまりてっぺんを起点に多い方から右回りに表示されているんだけれども、円のてっぺんから「横浜マリノス」の青がぐるりと伸びはじめる。

 そのまま、青は半分を越え、70%、80%とまわっていき。

 横浜マリノスが100%という完璧な青の円グラフが完成したのであった。

 ASフリューゲルスをもうちょっと応援することを、心の片隅で誓った93年の春先だった。

 さらに開幕が近づき、日本中の大都市にオープンしたJリーグショップ「FLAGS TOWN」が連日満員御礼だという。もちろん横浜にも開店した。立地は最高。横浜駅ビルの横浜高島屋内である。

 本当に満員御礼。さすがに横浜であるから、マリノスとフリューゲルスのグッズがメインに置かれていた。はずである。

 はずである、というのは、店頭に並んでいるのは明るい青、水色のグッズばかり。つまり横浜マリノスの赤青のグッズはおおかた売りきれていたのだ。空の棚が目立っていた。もっともマリノスは僕には関係がないので、フリューゲルスのキャップとスポーツタオルをかごに入れた。

 わいのわいのと賑わう店内でかごを持ってうろうろする僕の傍らで、よその親子の子供がぐずっている。

 「マリノスのグッズがほしい!」

 お母さんがあやす。「マリノスのは売りきれちゃってるから、ほら! こっちのフリューゲルスのでもいいでしょ!?」

 「やだ! マリノスじゃなきゃやだ!」

 僕はさらにフリューゲルスのフラッグ(中)とTシャツをかごに入れた。

 まぁ基本、あまのじゃくなのである。

 ASフリューゲルスを応援することを、心の片隅で誓った93年の4月だった。

 そしてJリーグは開幕した。

 結局僕は横浜フリューゲルスを応援することになったが、実際に試合を生で観戦できたのは、あの99年1月1日の天皇杯決勝の国立だけだった。最初はJリーグ人気爆発でチケットが手に入らず、その後は一気に盛り上がりすぎたあとのリバウンドで発生した全体的な人気低下に僕も引きづられるような形で観戦意欲を失ってしまい、観に行かなかった。当時まだ大学生でお金もなかったせいもあったと思う。中継があればテレビ観戦はしていたけどね。

 ところで今日、やっと横浜FCがJ1リーグ今期初勝利をあげたので、ちょっとうれしいです。

p.s. あのときフリューゲルスグッズを拒否したクソガk・・・もとい、お子様。いまもマリノスを応援しているんでしょうか。立派なマリサポになっていると、それはそれで嬉しいなぁ。

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