徒歩で遠出して何気ない日常に出逢いにいっている

この前、あまりにも暇な日があって、総武線各駅停車の駅を徒歩で巡る旅をしてみた。飯田橋あたりから最終的には新小岩まで歩いて、だいたい3時間少しくらいの旅。距離にして30キロ前後だったと思う

数値的にみると圧倒されるほどの長さで正気か?と思うが、街歩きが趣味の私にとってはさほど苦ではなく、むしろ途中からハイになってしまって、自分の中で歯止めをかけるのに苦労したくらいだ。楽しくて仕方がなかった。

例えば、都内の特に飯田橋〜錦糸町あたりまでは路線に沿って道を歩けば、街並みの変化と行き交う人々の変化が著しく、ある時はビジネス街を通ったと思えば、外国人がたくさんいる街を通ることもあるし、グッズ類を大切そうに持ちながら複数人で歩いている集団と行き交うこともある。

一方で、錦糸町そして平井や亀戸を超えたあたりからは少しずつ情景が変わっていく。まずそもそも人と行き交う頻度が減っていく。駅間の距離も次第に遠くなっていって、駅と駅の間はただの住宅街や学校などがポツポツと出てくるようになってきて、落ち着きが増してくる。車の通りは変わらずで、東京であってもこの辺りは車での移動も便利、というか必要だろうなと感じる瞬間が増える。

総武線の亀戸以降、総武線は流れを変える。今まで直進だったのに、突然曲がり、道筋を変える。私はそんなことも知らずに真っ直ぐに進み、道を違えていく。それに合わせて情景も変わっていく。車が中心で駅から遠い、江戸川区役所のあたりは、とても落ち着く雰囲気でよい。荒川は徒歩で渡るにはあまりにも怖すぎて、また渡りたいか?と聞かれてもNoと言いたくなるほどだった。そんな体験をできるのも徒歩での楽しみの一つだろう。

徒歩で街を行き交うようになってから、私は今まで知らなかった新しい街の姿を数々みるようになった。それは必ずしも多くの人にとって魅力的ではないかもしれないが、そこにある生活の形や商業の形が見え隠れする独特のものが多く、私にとっては興味深くて仕方がない。世の中に魅力的で面白いものはたくさん溢れているけれども、その場所にしかないもの、そこの場所でしか楽しめないものに出会えるのはこういう何気ない徒歩の中での方がずっと多い。

旅行のように、意気込んで非日常に出逢いにいくのとは訳が違う。私は徒歩で何気なく、その土地の日常に出逢いにいってその日常から刺激を受けているのである。お金は全くかからないし、逆に言えば飛び抜けるほどの刺激もないが、それこそが徒歩で遠出することの醍醐味であって、他とは変え難い価値である。特別になってしまっては意味がない。

街を行き交う母子が何気ない会話をしている姿や、自転車に乗った学生たちが楽しそうにはしゃいでいる姿、道端に車を停めて休憩しているタクシーの運転手。それら全てが日常であって、特別ではない。その日常の風景に出会うことはきっとどこでもできるけれども、その土地の雰囲気や住む人々、文化によって日常のカタチはそれぞれ異なる。だから、良いのだ。

同じものは世の中にたくさんあっても、住む人や地域が違えば同じにはならない。だからユニークであって面白い。そんな偶然の日常との出会いを求めて、私は徒歩でフラフラしているのだと改めて思うのであった。

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山本隼汰 | Hayata Yamamoto
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