おわりに向かっていく時間の中で
私が中学生の時、ある先生が奇妙なことを毎日やっていた。
何をやっていたかと言えば、クラスで起きたことをA4 の紙にまとめて新聞のように配っていたのだ。「A君が、〇〇ということをしてくれて、XXということができるようになりました」とか「体育際が近くになってきて、クラスの雰囲気は今こういう感じです」とか、そういう何気ないものである。
私は当時、13歳でまだ幼かったし、どんなことを先生が書いていたのか細かくは覚えていない。でも、とても楽しそうに先生はその活動をやっていて、生徒が全く共感してくれなくても絶えず毎日書いていた。
ある時、私は先生に「なんでそれ書いてるんですか?」と聞いたことがあった。確か彼は、「みんなの大事な瞬間を残して、親御さんたちにも伝えるためだよ」といった感じのことを言っていたと思う。
「ふーん、そうなんだ」と何となく私はうなづいたと思うし、先生のいっていることは何も理解できていなかったと思う。当時、先生は定年が近く、もうあと何年かすれば先生として生徒に何かを教えることはできなくなってしまうという事実と向き合って、きっとそういう取り組みを始めたんだろう、と今は想像する。
先生は数学を教えていたが、正直別に教えるのが上手いわけではなかったと思う。授業の中で面白かったシーンがあった気もするけど、ほとんどの時間、不真面目な私は寝ていたような気さえする。本当に申し訳ないと思うが、当時の私は塾と学校の授業を天秤にかけて、意味がない方はすっぽかす失礼な学生だったのだ。
でも先生のことは今となっても覚えている。それは、先生として印象的だった、というよりはむしろ、先生自体が印象的だったからである。彼が教えてくれたことは勉強というよりもむしろ、人との向き合い方や時間を大切に使うということであったし、実際、当時から生徒に対してフラットに同じ目線で話をしてくれる方だった。先生というよりは、親戚のおじいちゃん、という感覚の方が強かったかもしれない。
先生は今、どうしているだろうか。