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生き様
生き様とは、
その人が生きていく態度、ありさま。生き方。
私の生き様とはどのようなものなんだろう。ふと思う時がある。最近の私の生き様は客観的に見てどう思われているのだろう。とても気になる。だからといってどう思う?と友達に聞くのは気持ち悪いからやめておく。
私は、父のような立派な大人になりたい。年を重ねるにつれて感じるようになったことだ。自分の夢を諦めずに叶えることができた父を本当に尊敬している。身近なところに目指すべき理想があるのはとてもいいことだ。
しかし、私は父と違い、頭が良くない。本が好きでもない。共通点があるとすれば、THE BLUE HEARTSが好きな点と服が好きな点だけだ。
私はどちらかというと、抜けているし、何かミスをしても、嫌なことがあっても、特段落ち込んだり、気分を悪くしたりすることはあまりない。
いわゆるポジティブ人間だ。今までずっと、ポジティブに生きてきた。わりと周りにはポジティブな人が多くいる。その影響もあるのかもしれない。
ただポジティブに生きているだけで、自分に子供ができた時、子供は私を尊敬してくれるのだろうか。
何も成し遂げないまま終わってしまっていいのだろうか。
私は大学に入る前、高校教師になりたいと言っていた。しかし、2回生で教職課程を辞めた。特に理由はなかった。
今となっては後悔している。
自分は言ったことを最後までやりきる力があると思っていた。けどなかった。というか、自ら失くしてしまった。大学二回の気の緩みに負けてしまった。悔しく思う。
最近ネットで通信制で教職課程をとれる大学サイトをよく見ている。社会人として働きながら、夜に教職課程をとるために学校へ行くというものだ。不可能な話ではない。
ただ自分が努力すれば良い話。
努力することは誰でもできること。強い意志があれば努力は続けられる。ただその意志を持つことが大変だ。
私はその意志を持つ力が自分にはあると思っている。自信過剰かもしれないが思っている。それは14年間のサッカー人生で得たものだ。
しかし、大学に入ってからその強い意志を持ち真剣に努力し続けていることがない。教職課程を辞めてしまったのも、1つの例だ。高校までの自分なら辞めることはなかっただろう。自分は変わってしまったのだろうか。
人はよく、「自分を変えたい」と言う。
はたして、自分を変えることは本当に良いことなのか。それは、その人のとってプラスなのだろうか。
人は変わろうとしては変われないと私は考える。生活習慣や、生きている中で自然と変わってしまうものだと思う。
つまり私はまさに変わりかけの状況に置かれている。その変化に自分で気づけたことは良いことだ。しかし、どうやって軌道を戻せば良いのか、自分にはわからない。わからないことはどうにでもなれば良いこと。自分を信じて今をあるがままに生きていれば、自然といい方向に行くのではないかとも思う。
人には自分では気付いていない良さが必ずある。気付いてないからこその良さである。その自分の良さに気付いてしまい、その良さの見せ方を間違ってしまい、マイナスイメージになる場合もある。人はある意味、自分を知りすぎない方が良いのかもしれない。
結論、あるがままに今を生きる、これに尽きるんじゃないか。せっかく人としての命をもらったのだから、人間らしい、人間味のある、意志のある人生を歩みたい。
私の大学生活での後悔を取り戻すことはまだできる。人生を80年。まだまだ長い。この後悔を取り戻すには充分な時間がある。
これからもずっと、
自分らしい生き様を。
以上。