僕はプロになれるわけでもないのに、大学4年間をサッカーに捧げた。
私は4年前、自分はプロになれる実力がないと知りながら、大学4年間をサッカーに捧げることを心に決めた。
誰しもがサッカーを始めた頃に目指す場所。
プロサッカー選手。
そこがゴールであり、成功。
そのために、必死にボールを追いかけていた日々を懐かしく感じる。
いつしか、プロサッカー選手という夢は消え、ゴールがないまま、ただひたすら貪欲に大好きなサッカーと向き合い続けてきた。
毎朝4時に起きて、始発電車に揺られて、仲間とボールを蹴って、吐くくらい走って、がむしゃらにもがき続けた日々。
人生の夏休みと言われる大学4年間も、今までと同じく、サッカーに捧げてきた。
気がつけばボールを蹴って、走って、自分を追い込んで、そんなことする必要はないのに、サッカーを続けなければいけないルールなんてないのに、なぜか、サッカーを求めている。
プロになれるわけでもなく、月に数回しかオフがない、普通の大学生に比べて自由な時間は圧倒的に少ない。
だけど、なぜかサッカーを求めている。
自分でもわけがわからない。
大学まで続けてきた人なら、一度は考えたことがあると思う。
「なんで自分はサッカーをしているんだろう。」
周りの友達は、夢に向かって勉強をしたり、留学したり、社会人として働いていたり、
それでも、自分はただ好きというだけの理由で、サッカーと向き合い続けてきた。
どこかサッカーに逃げているような気もする。
でも、自分の中では逃げていると思いたくない。大学までサッカーを続けたことが逃げではなく、正解だと思いたい。
正直、15年間サッカーを続けてきたが、
果たしてこれが正解だったのかはわからない。
それは誰にもわからない。
正解だったかどうかは、サッカーから離れた時に感じることだ。
つまり、これから先の話だ。
私は大学を卒業し、会社に勤める。
色々な失敗や、困難が待っているだろう。
その時、サッカーを続けてきた本質が試される。
サッカーを通して、具体的にどんな力を身につけることができたかなんて分からない。
でも、本気でサッカーを15年間続けてきた自分にはどんなことでも乗り越えられる自信はある。
その自信こそが、15年続けてきて、得られた私の大きな強みなのかもしれない。
実際、サッカー人生は辛いことの方が多かった。
嬉しかったことや、楽しかった思い出は数少ない。
それでも続けてきた。
サッカーが好きだから。
大学でサッカーを続けると決心した高校3年生の僕を讃えたい。
そして感謝したい。
君の決心は間違ってなかった。
最高の仲間と最高の4年間を過ごすことができてきいる。
本当にありがとう。
僕はプロになれるわけでもないのに、大学4年間をサッカーに捧げた。
藤井速大