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午前4時11分

noteを始めることにした。
きっかけは高校の同期の記事を読んだこと、自分の意見を言葉にして、文章にして、人に伝えられるようになるため、就活で必要になる力を磨く為、いろんな人の考え方を学ぶため、あげたらキリのないくらい始める理由が思い浮かぶ。私はまだ未熟者だ。

noteを利用することは初めてなので、私の人生の中で最も時間を費やしているものから学んだことについて書くことにしようと思う。

私は通っている大学の体育会サッカー部に所属している。大学生になってまでサッカーを続ける道を選んだ理由、それはただサッカーが好きだから、辞めたくなかったから、理由は単純だ。

私がサッカーに対して1番時間を費やしたのは高校時代だ。しかし、チームとしても個人としても、高校サッカーでいい思いは一度もできなかった。全国的には無名の高校、滋賀では名の知れている高校、延暦寺学園比叡山高等学校、これが私の青春を捧げた母校だ。

私は高校サッカー選手権大会に出場することを夢見て入学した。家から片道2時間弱、毎朝始発に乗って、がむしゃらにボールと向き合った。
一緒に朝練をしてくれるやつ、その朝練に参加したいとついてきてくれる後輩、練習後の自主練に付き合ってくれるやつ、本当に仲間に恵まれていた。
上手くなりたい、試合に出たい、必死にサッカーに時間を費やすことだけを考えて生活していた。
その結果インターハーイ予選ベスト4、選手権予選ベスト8、やりきれない終わり方だった。最後の試合はベンチに座っているだけ、情けなかった。

私は大学サッカーを通して気づいたことがある。それは、始発に乗って、朝から走って、ボールを蹴る、これを努力だと勘違いしていたことが、高校生の時の自分の甘さだったということ。親にも周りの同期にもすごいなと言われ、その言葉を鵜呑みにして、「自分は頑張っているんだ、努力しているんだ」と勘違いしてしまった。これが大きなミスだと感じる。

体育会サッカー部には、選手権に出てたやつ、全国屈指の名門校の選手、Jリーグの下部組織の選手、私からしたら別格の選手が多数所属している。

その選手たちは本当に要領がいい。効率的に能動的に考え、行動に移す力を持っている。戦術理解、サッカー知識のレベルがはるかに高い。こういう人が結果を残すんだろうなとつくづく思う。

がむしゃらに頑張ること、これは確かに素晴らしいことだ。私はこういうことが1番大事だと考える人である。がむしゃらに頑張ることで生まれる自信、活力がある。そう思っているからだ。

しかし、

勘違いが生む自信、それは結果に繋がる場合と、繋がらない場合がある。どちらに転ぶかはその人の運だ。

私の高校サッカー時代に生まれた勘違いからの自信は、結果に繋がらなかった。しかし、後悔はしていない。なぜか後悔はしていない。なぜだかはわからない。

自分の心の片隅には今も、あの高校時代に生まれた勘違いの自信が存在している。それは良くないことだと言われたこともある。確かに良くないことかも知れない。しかし、この勘違いの自信のおかげで、人生楽しめているのかも知れない。今人生を楽しめているのはあの高校時代があったからなのかも知れない。そう考えると、あの時は結果にならなかったが、今現在、心の支えとなっているのであれば、とてもいい時間を過ごしたなと感じる。

私は運が良かったのかも知れない。

人生はまだまだこれからである。これからは効率的に結果を出すことが求められる。社会人とはそういうものだ。大学生活あと1年。がむしゃらに突っ走るのも、効率的に動くのも私次第。私はどこまで成長できるのだろうか。そんなことは誰にもわからない。だから人生は面白い。

以上。

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