難病の方へのヒーリング②

今日は難病の方へのヒーリング2回目。

1回目は奥さんが一緒だったから気づかなかったけど、

相手が話せず、意思疎通すらできているか微妙な場合、

とことん自分と向き合わざるを得ないということがわかった。
.
.
相手は右手で左足を触る動きを延々と繰り返している。

僕が何をしようと、話そうとそれは変わらない。

自分がそこにいることが認めてもらえていないような不安感…

知的障害者施設で働いていた時の、

重度知的障害の利用者さんと過ごした時間と全く同じだった。
.
.
あの経験をしておいてよかった。

目の前の相手が僕を認識していようといまいと、

会話が通じなかろうと、

【僕はこの人のためにどう在りたいのか】

それだけを考えて実行する。

他者によって自分を認識するのではなく、

自分で自分を存在させる経験をしておいてよかった…
.
.
今日は1時間エネルギーを流し続けた。

途中で意識が飛んで寝てしまっていたが、

変性意識状態だったのかうたた寝したのかわからなかった。
.
.
脳に40分ほどエネルギーを流した後、

左手で握手し、右手をそっと添えて15分ほどエネルギーを流した。

手を握りながら目を見ると、旦那さんも僕の目をまっすぐに見ていた。

ふと思いついて、テレパシーで(話せないから)コミュニケーションをとってみることにした。
.
.
野生動物とテレパシーでコミュニケーションをとる練習は苦戦している。

ペットと違い、彼らは僕と会話することを特に望んでいるわけではないからだ。

だが旦那さんは何か話したいはずだと思い、試してみた。
.
.
【なんでもする!なんでもするから、俺を動けるようにしてくれ!】

そんな念波を受信した気がした。

旦那さんの表情に変化はない。

僕の気のせいだろうか…僕の思い込みの産物の可能性は十分にある。

話せるまで回復したら最初に確認したいことが見つかった。
.
.
奥さんは畑仕事に行ったままだったので、

1時間後に僕は話せない旦那さんに挨拶をして帰った。

【本日の成果】

目に見える成果は何もなし。

だが自分がどう在りたいのかは実践できた。
.
.
昨日、『食べられなかった食事ができた』という奥さんの報告を受けたわけだが、

そうした結果が出たことで逆に、

結果が重要ではないということがしみじみわかってしまった。
.
.
奥さんが旦那さんに、スイカを笑顔で食べさせてあげているのを目撃した時にわかった。

やはり結果ではなく在り方なのだ。

目の前の出来事に対して、どんなスタンスで自分を存在させるのかなのだ。

なぜそれが大事かというと、

一瞬一瞬の自己の在り方の連続が【生きる】ということだからだ。
.
.
まったくもってうまく説明できない感覚なのだが、

とにかく結果は本当にどうでもいいと、はっきり腑に落ちた。

結果に気を取られて自分を見ていない時間を減らし、

結果を求めて信じた行動をしている自分を観て、折り重ねていく。毎瞬毎瞬。
.
.
結果を求める生き方は、本当に罠だ…

結果はコントロールできないし、

スポーツやコンテストの1位は一つだけだ。

1位以外全員敗者になる価値観が正しいとは思えない…

結果に向けて進む自分の在り方はコントロールできる。

それなら全員勝てる。

一人ひとりが真の自分であろうとすればいいから。
.
.
とても大切なことを教えていただいている気がしてきた。

これは授業なのだろうか。

結果への執着を手放すことで、

敗北を感じた無数の過去の僕が解放される。
.
.
負けたこともいい。

うまくいなかったこともいい。

やり遂げられなかったこともいい。

リタイヤしたこともいい。

逃げたこともいい。

特定の結果を悔やむ思考は全部罠だ。

その思考は【幸せ】に繋がっていない。

いつもありがとうございます。 あなた様のあらゆる苦厄が取り除かれますように。 薬師如来真言唱えさせていただきます。 おんころころせんだりまとうぎそわか