2/9(水)

月に吠える

『私』が夜、山の中を歩いていると、虎が飛びかかってきそうになったが、その虎は身を翻し、藪の中に隠れた。
「あぶないところだった」
「何者だ?」と『私』は問うた。
「私はただの虎です」
「なら、ひと思いに食べてしまえばよかったものを」
『私』は恐れをおくびにも出さず言った。
「いえ、私は気高い虎にならんとしていたことを思い出したのです」
虎は身の上を語り始めた。

「私はかつて、美しい屏風に描かれた虎であった。
 今にも襲いかかってきそうな、迫力満点の虎だった」
自分で言うからには、とても迫力満点だったに違いないだろう。
「私はお城の大広間の一の間で、将軍様の後ろに立っては数々の無礼者を責め立てておった」
ほうほう、将軍の威を借る虎か。
「ところがだ!」
いきなりの大声に『私』は驚き、飛び上がった。
「いきなり一休という小僧が、私を屏風から追い出したのだ!
 私はそれきり、あの小僧に縛り上げられないように逃げ続けているのだ」

「なるほど……、それは災難でしたね」
棲家を追われ、居場所のなくなった虎。
まあ、何人たりとも、突きつめれば根無草ではあろうが。
『私』は携帯電話を取り出し、電話をかける。
「もしもし、警察ですか? 虎が山をうろついているので猟友会を呼んでもらえませんか?」
慌てた虎は月に向かって二声三声咆哮したかと思うと、また元の草むらに躍り入って、二度とその姿を見なかった。

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