『才能』って何だろう
以前、ツイッターにこんなことを書いたことがあります。
『 ボロボロになるまで夢を追って、
その結果、諦めることを選択した人に対して、
「才能がなかったんだよ」と。
決して他人より努力が足りなかったわけではない、その人に、
なぜ、そんなことを言えるのでしょうか?
目に見えない、凶器に思えてなりません。 』
私はその発言を間近で聞いていました。
その時はもちろん、後でどう考えても、どう思い返しても、
棘を含んだ言い方に思えてなりませんでした。
だからツイッターにこんな事を書いたのでしょうけれども。
今日、他の方のnoteを拝見して、改めて思いました。
『才能って何だろう』?
若い頃の自分は「努力の才能がある」と思い込んで、
自分にかなりの無理を強いて頑張っていました。
お世話になっていた監督に「お前は忙しすぎる」と怒られたほど……。
だけど、当時の私が本当に欲しかった「才能」はそれではなかったはず。
じゃあ、どうしたら自分の好きな『才能』と出会えるのかな?
答えはもちろんありません。
だけど、モノを作り出すクリエイターの皆さんなら、何かしら思うところはあるのではないでしょうか?
いいえ。クリエイターに限らず、役者もスポーツ選手も料理人も、大工さんでも、
つきつめればどんな仕事にも共通する『思い』かもしれません。
今あるものに満足しない強い心……とか?
目に見えないモノだからこそ、人はそれを求めるのかもしれません(*´-`*)
その『ひらめき』を得た瞬間、それはそれは甘美なことでしょう。
だけど手にした途端にそれはまた消えてしまう。
でも、いつもその人の中にいて、実はうずうずしながら出るときを待っているんです。
ただし、とってもあまのじゃくで恥ずかしがり屋さんかも。
そんなもののような気がします。
『才能』……こう思うと、何だか憎らしくもあり愛くるしくもあるような。
どうやら私の中の『才能ちゃん』は愛嬌たっぷりのようです(✿╹◡╹)