まよバス!SS 「まよバス!」の4人と1匹のとある日常を書きました。ネタバレはないですが第1話を聴いていただいていると分かりやすいかもしれません。
「……大きい」
男子の、それもLサイズの制服に袖を通し、愛実がぼやく。しかし代えの服があるだけマシなので、贅沢は言えない。
着替えが終わった愛実は、理科準備室の外で待たせていた猛を部屋へ招いた。
「おー、やっぱデカいな!」
愛実の男子制服姿を見ると同時に、猛が明るい表情で元気な声を出す。
「大きいわね」
猛よりもふた回りは華奢な体格の愛実が猛の制服を着ているのには、理由がある。
昼休みが終わった5時限目の途中で理科準備室に戻って来た愛実を不運が襲ったのだ。
「しっかし、俺が6時限をサボってよかったな! お陰で助かっただろ」
「……まあ」
ジャージ姿の猛は5時限目が体育だったらしく、その時着ていなかった制服を愛実に貸してくれていた。
愛実は自分のジャージを学校に持って来てはいなかったことを軽く後悔する。
「愛実の濡れた制服はどうするんだ? 学校で洗うわけにもいかないだろ」
「ええ。だから明日までこの制服、貸してくれる? 洗って返すから」
「いい、いい。いちいち洗わなくても」
「でも」
「いいんだよ、適当に返してくれりゃ」
「……ありがと」
そもそも愛実の制服が濡れたのには、理由がある。
少しの間、理科準備室を留守にした間に、床が水浸しになっていたのだ。そうとは知らずいつものように部屋に入り、見事に足を滑らせて転んでしまったのである。
「そういや愛実、怪我はねーのか? 転んだんだろ? 痛いところがあるなら、保健室行かねーと」
「別に、ない」
「そっか、ならいーや」
保健室にはどの程度お世話になっているのか、猛は愛実の言葉をそのまま鵜呑みにして頷いた。
その時、6時限目の終わりを告げるチャイムが校内に響く。ということは、そろそろ他のメンバーも集まってくるはずだ。
このところ、放課後になると幼馴染のメンバーがこの理科準備室へ集まるのが日課になっていた。
「ははっ」
「なに?」
「いや、愛実のその姿を見たら、あの2人はどう思うのかと思ってな」
「……」
猛の含み笑いに少しムッとしたものの、愛実は黙る。制服を貸してもらっているのであまり強く物が言えないのもあるが、単純に恥ずかしいからである。
「2人とも、今日は来なければいいのに」
「それじゃ俺がつまんねーだろ」
「ちょっと、人の不幸を楽しまないで」
「へいへーい」
眉根を上げた愛実に、いつもの上の空な返事が猛から帰ってくる。
愛実は半ば諦めて、読みかけの本に手を伸ばした。
彼女のその行動を見て、猛は理科準備室の大きな机の上に身を転げると仰向けで目を閉じた。
2人の距離は近すぎず、遠すぎず。このスタイルがこの2人の日常だ。
そこには静かだけれど柔らかい時間が流れていた。
―ガラガラ。
ノックもせず、柔らかな時を壊すように誰かが廊下側から理科準備室のドアを開けた。
「ちわっすー」
「おっ、小次郎!」
机から起き上がった猛が、現れた小次郎を笑顔で歓迎する。
しかし小次郎の目線は猛ではない別の人物に注がれた。
「愛ちゃんどうしたの、その格好?」
ゆっくりと本から視線を上げた愛実は微笑しながらゆっくりと小次郎を振り向く。
「何でもないの、気にしないで」
「いや、気になるし!」
すかさず小次郎のツッコミを受けたところで、愛実の表情から笑顔が消えた。
「愛実が着てるの、俺の制服なんだぜ」
何故か鼻高そうに猛が言う。愛実の着ている男子の制服が猛のものだとして、小次郎はさっぱり意味がわからずにいた。
「なんで猛の制服を愛ちゃんが着てるの?」
「貸してやったんだよ、この俺が!」
「いや、それは見れば分かるよ」
「……ちょっと、不運が重なっただけ」
本に視線を戻しながら、愛実は極力制服のことに興味を引かれないよう努める。小次郎の刺すような視線は気にしないフリをした。
―コン、コン。
廊下側から、誰かがドアに控えめなノックをした。
「どうぞ」
愛実が答えると、ドアがゆっくりと開く。
姿を見せたのは学園の理事長の孫、如月悠純華だ。
「あっ、みんなもう来てたんだね、早いねえ」
おっとりとした笑みをみせながら、悠純華は丁寧にドアを閉める。
「わっ、愛実ちゃん、どうしたのその格好!?」
予想通りの反応である。やっぱり可笑しいよね、と愛実が言外に思ったのは内緒だ。
一通りの出来事を説明し、小次郎と悠純華はやっと納得する。
しかし愛実だけは腑に落ちないことを考えていた。
愛実の表情を気にした猛が、少し恐れながら話しかける。
「おい、愛実。眉間に皺が寄ってるぞ」
「……だから、なに」
「なにって、怖えーだろ、普通に」
「……どういう意味」
「そういう意味だよ!」
「まあまあ、猛くん」
何か言いたそうな愛実に本気のツッコミを入れる猛を悠純華がなだめる。この光景もいつものことだ。
「私、気になるんだけど」
「なーに?」
話を切り出した愛実の言葉に呑気に答えたのは小次郎だ。
何も考えていないような小次郎の返事は考えるまでもない、本当に何も考えていない。そのことに多少、気分を害した愛実はまるで探偵のような発言をする。
「いったい、誰がこの部屋を水浸しにしたのか。真犯人はこの中に居るんじゃないかと思うの」
「「……ええ!?」」
小次郎と猛の声が重なった。まさか自分が容疑者にされるとは思ってもみなかったのだ。
「ちなみに、僕じゃないよ?」
「私も……記憶にないよ」
「つか、そんなことして何が楽しいんだ?」
メンバーはそれぞれの意見を述べる。
しかし愛実はそんなことでは臆しない。頭脳明晰な愛実の脳裏では、そんな反論も想定済みだ。
「無意識に部屋を水浸しにした真犯人がこの中にいるというわけね」
「無意識にって、そんなことあり得るの?」
小次郎の疑問は最もだ。
「一概にありえないとは言い切れない。それに、悪気がないというだけで罪を逃れられるなら楽なものよね」
「う……さすが愛ちゃん、言い返す隙がない」
小次郎の頭脳の容量では愛実に勝てそうにない。
そこで頼りになるのは平和主義の悠純華だ。彼女ならやってくれるに違いない。
「愛実ちゃん。真犯人は私には分からないけど、それを見つけてどうするの?」
「別に。知りたいだけ」
「知りたいだけなら、犯人探しなんてしない方がいいよ~」
悠純華の意見も一理ある、と思い愛実は押し黙る。
しかしそれでは、愛実の気持ちが治まらない。いったい誰のせいで自分が猛の制服を借りるはめになったのか、気になって仕方がないのだ。
それも、この中に犯人がいるというのに根拠がないわけではない。
一日中この理科準備室にいる愛実には、部屋への出入りは丸見え。つまりこの教室を誰がどの時間に訪れたのか、全て把握していた。
空白の時間は、昼休みの後半の数分である。
今日の昼休みは、いつもと少しばかり違った。いつもは小次郎と悠純華、愛実と猛の4人でこの理科準備室で昼食をとるのが日課だが、今日はその場に4人が揃うことはなかったのだ。
「お昼休み、私、ここで待ちぼうけだった」
愛実は頬を膨らませて抗議する。
「え、でも私、来たよ。その時、愛実ちゃんはいなかったけど」
「知ってる。悠純華のクラスの人から聞いたわ。小次郎くんも来たらしいわね」
「ああ、うん。さっきまですごい雨が降ってたじゃん。慌ててベランダからここに入ったんだよ。誰もいなかったけど」
本人たちの証言により、昼休みにこの理科準備室に訪れたことは確信が得られた。
「じゃあ、猛くんは?」
悠純華の言葉に、全員の視線が猛に集まった。
「俺は……うーん……」
何故か言葉を濁す猛。
「なんだよ猛。男だろ、はっきりしろよ」
「お、おう……」
小次郎の言葉に、猛は意を決したように話し始める。
「俺もここに来たんだよ。……っつーか、4時限目からずっと居たっつーか……、愛実も知ってるだろ!」
「ええ。知ってるわ」
猛は居心地がいいという理由で、授業をさぼる時はしょっちゅうこの理科準備室を訪れていた。
「なんだ、じゃあ猛はずっと愛ちゃんと一緒にいて、白ってわけ?」
「そういうことになるわね」
なぜか落胆する小次郎。
悠純華は容疑が2人に絞られたことに慌て始めた。
「ま、愛実ちゃん! やっぱり犯人を割り出すのは良くないよ! みんな仲良し、だよ!」
「仲良し……」
沈黙する一同。しかし視線はそれぞれの心情を表している。猛は興味深そうに他者を見つめ、小次郎はあさっての方向を向いている。悠純華は困ったように俯いた。
愛実の眉間には再び皺が寄った。
その時、控えめに理科準備室のドアが開く。
一斉に4人の視線が注がれるも、細く少しだけ開けられたドアはそれ以上開かない。閉められることもなかった。
「……どこに行っていたのかしら、うに丸先輩」
「ギクッ」
愛実の言葉に、一同が視線を下ろす。いつもはピョンピョンと跳ねまわって移動するうに丸くんが、そろーっと床を這っていたところで愛実に見つかったのだ。
「おや? 皆さんもうお揃いですかっ?」
「誤魔化さない」
「……はい」
急に元気に喋り出したうに丸くんの魂胆は愛実には丸見えだ。
うに丸くんは机に飛び乗ると、まず謝罪する。
「よっ、と。勝手に出歩いて、すみませんでした。とある教師が気になったもので、観察していたんです」
しおらしいうに丸くんは珍しい。だが次の瞬間には目の色が変わった。
「しっかーし! 誰にも見つからずに戻ってこられましたよ☆」
「そういう問題じゃないけど」
「まあまあ、愛実ちゃん」
すかさず仲裁に入る悠純華の順応性はすばらしい。
「うに丸くんって普段はぬいぐるみのフリをしてるんだよね?」
「そう。このメンバー以外の人が居る所では」
悠純華の言葉に、愛実が頷く。うに丸くんも大変だなーとぼやいたのは小次郎だ。
「そうなんです、小次郎さん! 分かってくれますか、この大変さを!」
「そんなに大変なの?」
「大変ですとも! 皆さんもストップモーションをしてみてください。息もしづらいのではないですかっ?」
最もなうに丸くんの意見に、猛と小次郎はポーズを取って動きを止めた。悠純華は頭の中でその状況を想像する。
「確かに、これは結構辛いぞ」
「そうでしょう!?」
ここぞとばかりに大変さを誇示するうに丸くん。愛実だけが小さなため息を漏らした。
「うに丸先輩、してないじゃない、息」
「……へ?」
愛実の指摘に、メンバーの目が点になる。
元々ぬいぐるみのうに丸くんは呼吸をする必要はない。
「……はいっ☆」
「こいつ、騙したな!」
ストップモーションを止めてうに丸くんを捕まえようとする小次郎に、うに丸くんはピョンピョンと元気に跳ねまわって逃げる。この光景ももう見慣れたものだ。
「くそ、捕まらない」
「ひょい、っと。それで、愛実さんはどうしてそんな滑稽な格好をしているんですかっ?」
何ともなしにうに丸くんが地雷を踏んだ。
「うに丸先輩」
「はいっ☆」
愛実が掌を差し出すと、うに丸くんがそこへ飛び乗る。
すると愛実は無言のまま、うに丸くんの頬を両手でつねった。
ぬいぐるみのうに丸くんは痛くはないだろうが、つねられる度に声を上げている。その光景に、場に笑いが起こった。
「はあ、酷い目にあいました~」
「自業自得」
「それで、男性陣はどうして放課後なのにジャージなんですかっ?」
猛は愛実に制服を貸しているのでジャージなのは納得がいく。
小次郎はどうしてかここへ来た時からジャージ姿だ。
「それがさー、昼休みの時、急にすごい雨が降って来たじゃん。校庭にいたから制服がびしょびしょになっちゃってさー。ベランダからここに入って、とりあえず制服脱いで絞ったんだ……よ……あれ?」
小次郎は自分の回想に、何かに気が付いた。
濡れた制服をどこで絞ったのか、それがこの場合の論点だ。
「猛くん、犯人確保」
「おう!」
「うわっ、痛い痛い痛い」
小次郎は一瞬で猛に羽交い絞めにされる。猛の関節技が小次郎にクリティカルヒットとなった。
「あはは、猛くん、ほどほどにねー」
「悠純華、疑って悪かったわね」
「ううん、気にしてないよっ」
優しい悠純華の笑顔はその場を明るくする。
ほっと一息ついて、愛実はじゃれ合う猛と小次郎に視線を移した。
再会したばかりの頃はまだ想像もできなかった。10年前の幼馴染が、こうしてまた1つの場所に集まれる幸福。
猛と小次郎はそこまで深く考えていないだろうと愛実は思うけれど、それがなんだか微笑ましい。
ふと愛実は、悠純華が自分の格好を改めて見ていることに気が付いた。
「愛実ちゃん、私のジャージでよかったら、貸すよ」
「ああ……」
確かに、男子の制服、しかも大きすぎる猛のものよりは、体格も似ている悠純華のジャージの方がいいかもしれない。
無表情のまま少し考えて、愛実は首を横に振った。
「え、そのままでいいの?」
「ええ。これも猛くんの優しさだから」
異空間では味わえない平和な時間を噛みしめながら、愛実は微笑んだ。
その視線の先は悠純華と同じく小次郎たちを見つめている。
誰かが仲裁に入らない限り、男同士の手合いは終わりそうにない。
「はいはい、2人ともその辺にしておいたら?」
手を叩き、愛実が未だ猛の関節技を食らっていた小次郎に助け舟を出す。
猛から開放された小次郎は、かなり体力を消耗したようで近場の椅子に身を投げた。
「ふふっ、2人ともお疲れさま。それじゃ、帰ろっ」
帰って眠りにつけば、ただの幼馴染ではなく『まよバス!』のメンバーとして再び集まることになる。
異空間という危うい場所で行動することに不安を感じつつも、それを楽しんでいるのはどのメンバーも同じだ。
「それでは皆さん、今夜もよろしくお願いしますね☆」
うに丸くんの明るい声に、メンバーが視線を交わす。
4人はほぼ同時に微笑み合った。
「おー!」
「おう!」
「うんっ」
「ええ」
重なる声は4つの色を見せ、理科準備室にこだまする。
声変わりをしても4人の色は昔とちっとも変わらない。たぶん、この先もずっと同じだろう。