短編小説『痛いの痛いの飛んでいけ』
僕にはずっと、気になる人がいる。
その人に対するこの気持ちが、恋心なのか、それとも憎しみなのかはまだ決めていない。
とにかく、気になる存在だ。
その人は、僕が中学生の時に所属していた部活の先輩だった。
校内でいつも人気者のその人に話しかけるのも気が引けて、まだ一度も話したことがない。
だけど校内で見かけるとつい、行動を目で追ってしまう。
昼休みに、用もないのにその人の教室がある校舎へ行ったりもした。
その人の視界に入ったからといって何だという事はなかったけれど、僕の方はそれだけで非常に恥ずかしかった。
高校は別々だったから、3年の間はその人を頻繁に見ることはなかった。
たまに地元の本屋さんやなんかで姿を見かけると、あの頃のクセが出てつい物陰に隠れた。
……若かった。
また頻繁に顔をみるようになったのは、進学した大学がその人と同じだったからだ。
だから今、僕はとても後悔している。
「姉さんが行きたがってた大学なんか選ぶんじゃなかった」
心からそう思っているわけじゃないことは分かっている。
自分のことは自分なりに分かってるつもりだ。
だけど僕の行動はあの頃とは違って、あの人を避けるようになっていた。
身体は避けるくせに、目線はあの人を追っている。
これが恋心なのか、僕には未だに分からない。
……あの人は、死んだ姉さんの恋人だった。
「あ」
「……」
2年生になったある日。
ずっと避けていたあの人と、廊下で遭遇してしまった。
向こうも僕に気づいたのか、心なしか気まずそうな表情をした。
この人は、姉の葬式では泣かなかった。
周りが、父でさえ泣く中、この人だけは絶対に泣かなかった。
あのとき恋人の為に泣きもしなかったその人が、目の前にいる。
「……」
お互いに無言で、立ち止まった僕に対し向こうは廊下をこちらへ向かって歩き出した。
すれ違い様この人は僕に何かを言いかけて、だけど何も言わずに通り過ぎる。
「……あの!」
初めて僕から声をかけた瞬間だった。
すれ違うとき、僕に向かって笑いかけてきたからだ。
あの日、あの姉の葬儀の日と同じ笑顔で。
姉のことはこの人のせいじゃない。
生まれながらの不治の病で、誰にもどうにもできなかった。
だけど、僕はこの人を睨まずにはいられない。
あんなに一生懸命に生きた姉さんの前で、どうして笑っていられるの?
「キミが、笑ってくれますように」
そう言うともう一度、この人は僕にあの笑顔をくれて、背を向けた。
「……」
あの人のあの言葉を、僕は一生忘れられないだろう。
林ひとみ 著
_〆(゜゜〃)