否定ではないことだけはわかって欲しい
散文中の散文なため読みづらいし不快に思う人も沢山いると思う。ただ散文具合を指摘するくらいならあなたの意見を聞かせてほしい。散文なのはここで謝るから、それをこれ以上深堀りしないで欲しい。
櫻坂のStart Overという曲が発表された。
俺は櫻坂の今までのシングルの中で1番と言っていいほどハマらなかった。
勿論俺がカッコつけてるだけという可能性だって十分ある。「俺音楽知ってるんだぜアピール」の可能性も自分では無いつもりだけど決して否定はできない。でも多分それだけじゃない。
その、それだけじゃない部分を考えたい。
僕は日向坂のファンから入り、正直他の坂道には全く興味がなかった。
でも段々と乃木坂曲アレンジの豊かさ、ひねくれ具合に次第とハマり、欅・櫻の曲をユニエアでやるようになってから徐々に好きな曲が増えていった。特に黒い羊やStudent DanceやAM1:27、10月のプールは本当に素敵な曲だと思った。
否定するわけじゃないけど、平手ちゃんのカリスマ性は正直よくわからなかった。カッコイイとは思ったけど飛び抜けて目立った訳でも無く、世間で欅坂が流行っていた頃僕はもうハタチを余裕で越えていたので欅坂の歌詞は「子供っぽい」としか捉えてなかった。
若者の叫びを歌に乗せる音楽は大好き。ただ、心の芯に刺さるような感覚ではなく、欅坂の曲は飽くまで音楽として好きというのが最初にある。
櫻坂の音楽が好きになり始めたのは3rdから。
1st,2ndはカップリングあわせて特に目立った曲もなく、ノバフォは本当にひとつも語りしろの無い曲だし、BANは「速いなー」という感想しか無かった。
でも3rdが出てからは何回も聴いた。流れ弾の軽快なダンスビートにワウの効いたギターと踊りを誘うような敢えて抑揚の少ない展開、Dead Endのダブステップやハードコア系ともとれるEDMなビートに何故か少し含まれるエモさ、無言の宇宙のセンター理佐ちゃんの物憂げで凛とした雰囲気と浮遊感のあるエフェクト。最高のシングルだった。
そして4th。五月雨よという一見大衆的な曲だったが、大衆的からは少し外れていた。ギターのブリッジミュートとベースが少し目立ちすぎている。曲は明るくてエモい曲を目指したのだと思う。でも、彼女たちには隠しきれない「物悲しさ」があった。それは僕が勝手に想像するに欅時代の様々なネガティブな経験によるものなのかもしれない。
とにかく、明るくしようが楽しくしようがいつも彼女らは物悲しい。そこさくを見てもそうだった、いつでも彼女らは寂しそうだった。
僕のジレンマも大大大好きな曲。壮大かつエモーショナルな曲だけど、ストリングスがあまりにも大袈裟なので安っぽくなりかねない。でも全く安っぽくならなかったのは、彼女らの纏う「物悲しさ」がストリングスに説得力を持たせたからだと思う。
同時に、3rd,4thからは欅坂からの脱却をテーマに感じて、「陰気な人間」から「大人の物悲しさを知った元陰気な人間」への成長を感じてしまった。
僕はこの「物悲しさ」に可能性を感じた。
そして、摩擦係数。昨今のJPOPでブラックビートやラテン系は流行っているものの、それらを安直にただ取り入れるだけでなく櫻坂のものとして完成されていた。ただ、櫻坂ファンに聞くと、それほど評価はされてなかったらしい。同じラテン系ビートでAKBのフライングゲットや乃木坂のインフルエンサーがあるが、馴染みのないラテン系ビートにキャッチーなメロを加えて上手くJPOPに昇華して大ヒットしている。かたや摩擦係数はキャッチーというほどのメロディは生み出せていないため、ただでさえ馴染みのないラテン系ビートは日本人にはハマらなかった。でも、欅坂からの脱却、それどころか勝手に独自の路線を目指している姿に、応援したい気持ちが高まった。
ただ、紅白に落ちた。そこから全てが変わった。
5thの桜月、今となってはいい曲だと思う。でも、「物悲しさ」を自分から迎えに行ってしまった。「物悲しさ」は滲み出るものであり、それを自分からアピールしてしまったら興醒めだ。明るい曲を作っても結局物悲しくなってしまう、速い曲を作っても結局物悲しくなってしまう、それが僕が櫻坂を好きな部分だった。
そしてナスカという作曲者は黒い羊の作曲者。なんか引っかかった。
そして6thStart Over。物悲しさの欠片も感じなかった。
最初のベースは良い。ただ、最初にここまでハードルを上げてしまってはイントロが大事。かかったのはストリングス、壮大やクラシカルならまだ良かった。昔のボカロPが考えたような安直で安っぽい西洋風ストリングスだった。でも多分このフレーズは今のボカロ世代には刺さりまくるだろう。僕だってあんなに嫌われ者のORANGERANGEが刺さりまくったんだ。勿論レンジが嫌われる理由も余裕で理解出来る。でも好き。それが今の若い世代になっただけ。
ベースのスラップ。それが「チョッパー」と呼ばれていた世代なら聴き馴染みもあるだろうが、今の若い世代には「目新しいカッコイイ音色」にしか聞こえないだろう。僕はもうスラップを聴き飽きるほど聴いてきたので、それが諸刃の剣であることを知っていた。ドラムのツーバス、ギターのタッピングと一緒で使い方を間違えると一気に安くなる。
その安さを感じるに十分なイントロのインパクトの薄さだった。
スラップベースから本来感じる攻撃的な印象を慣れ親しんでいない人は感じてしまうだろう。
また、何となく暗い雰囲気のある藤吉夏鈴ちゃんと、何となく暗いと捉えられてしまう曲から黒い羊を感じた人たちが沢山いた。恐らく平手友梨奈ちゃんを感じたのだろう。
欅坂から脱却しようとしてたんじゃなかったのか。
そんなズルいことをして欲しくなかった。そんなに紅白に落ちたのが誤算だったのか。
「物悲しさ」を捨てた上に「ファンに媚びた」
と僕は思ってしまった。
ただまだ表題だけ。最近の坂道の傾向は、表題は無難でカップリングはアソぶことが多い。まだ俺は櫻坂を諦めてない。11月のライブに行きたいと思わせてくれ。