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朝起きて、ひたすら寿司を握った話
朝、目が覚めると、僕はすでに寿司を握っていた。いや、正確に言うと、夢の中で寿司を握っていたのだ。握れども握れども終わらない寿司、気がつけば畳の上に寿司の山ができている。「これはまずいな」と思いながら、目を覚ましたら現実の世界だった。が、問題はひとつ。目の前に本当に寿司が転がっている。「あれ? 夢じゃなかったのか?」と思いながらも、冷蔵庫を開けると、昨日買った覚えのないマグロの柵が鎮座している。どうやら、僕は寝ぼけながら寿司を握っていたらしい。
仕方がないので、そのまま続きを握ることにした。ここでやめたら、昨日の自分ががっかりするだろう。
まずはシャリの準備だ。米を研ぎながら、「お米って本当に偉大だよな」と思う。だって、寿司の基盤なのに、みんな魚ばかりに注目して、シャリのことなんて大して気にしていない。世の中の構造と同じだ。表に立つのはスター選手ばかりで、裏方の職人にはスポットライトが当たらない。でも、僕は知っている。寿司においてシャリこそが真のMVPなのだ。
炊きたてのシャリをうちわであおぐ。うちわには「ハワイ」と書かれた観光地のお土産的なデザインが施されている。なぜこんなものを持っているのか、自分でもわからない。たぶん、過去の自分が何かしらの意図を持って手に入れたのだろう。でも、その意図はすっかり忘れ去られている。人生とはそういうものだ。
魚を切る。まぐろ、ひらめ、サーモン。どれも市場で最高のものを選んだ…といいたいところだが、正直、スーパーの特売品だ。握る手の感覚で鮮度をごまかしながら、シャリにのせていく。僕の握る寿司は、もはや芸術に近い。たぶん、ミケランジェロが彫刻を作るときも、こんな気分だったに違いない。
ひとつ、またひとつと寿司が生まれていく。気がつくと、テーブルの上が寿司で埋め尽くされていた。いや、テーブルどころか、キッチンカウンター、さらにはリビングのローテーブル、ソファのひじ掛けの上にまで寿司が広がっている。もうこれは職業病だと思う。
「これ、全部どうするんだ?」
僕は自分に問いかける。しかし、答えはない。寿司は静かに僕を見つめ返すだけだ。その時、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴る。
出てみると、隣の奥さんが立っていた。「すみません、うちの猫がベランダから入っちゃったみたいで…」と言いながら中をのぞくと、奥さんの視線が固まった。彼女の目には、無数の寿司に埋め尽くされたリビングが映っている。言葉が見つからないのも無理はない。
「……お寿司、お好きですか?」
僕はとりあえずそう聞いてみた。奥さんは少し考えたあと、「まあ…好きですけど…」と慎重に答えた。
「なら、持っていきませんか? できたてです」
こうして、寿司は隣人とのコミュニケーションツールへと昇華された。奥さんは戸惑いながらも、パック詰めにされた寿司を手に帰っていった。彼女の猫は僕の足元で気持ちよさそうに伸びをしていたので、しばらくそのままにしておいた。
夕方、寿司の在庫がまだ大量にあることに気づき、僕は次なる策を考えた。結論として、道ゆく人々に寿司を配ることにした。
「お寿司いかがですか?」
通行人はみんな警戒した目で僕を見る。そりゃそうだ。普通の住宅街の路上で、知らない男が寿司を配っているのだから。でも、子供が興味津々で近づいてきた。「お寿司? タダ?」と聞かれたので、「もちろん」と答えた。子供は嬉しそうにサーモンを手に取り、母親は少し困った顔をしながらも、結局はまぐろを選んだ。
夜になる頃には、寿司はほとんどなくなっていた。部屋の中はすっきりし、僕の心もなぜか晴れやかだった。寿司を握ることは、ただの作業ではなく、一種の儀式なのかもしれない。作り、配り、食べてもらうことで、世界と繋がる。それが寿司の本質なのかもしれない。
僕は最後のひとつを口に入れ、静かに目を閉じた。今日もまた、寿司に支配された一日だった。でも、悪くない。
遠くで犬が吠えた。たぶん、寿司が欲しかったのだろう。