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【平成を語る】大正生まれの女性ゲーマー

平成の終わりには、明るい葬式に出た。

母方の祖母が95歳でこの世を去った時の話。

祖母の晩年

80歳くらいの頃に夫を亡くし、その後もマイペースに生活を続けていた彼女だったが、94歳あたりから認知症と思われる状況に。同居家族のことも「誰?」と言い始め、足が弱り、トイレの失敗も増えだした。

95歳の春、介護施設に入所。その年の夏、肺炎にかかり入院。

2回ほど危篤状態になったが、乗り越えた。その間、遠くに住んでいるひ孫たちも会いに来てくれた。幼い字で書かれた寄せ書きや、折り紙で作った花束などをもらって嬉しそうにしていた。

秋になってさらに衰弱し、死去。最期の瞬間は、子どもと孫で見守った。

穏やかな霊安室

大きな病気もせず(亡くなる時が人生初の入院だった)、ひ孫たちともふれあいながら、老衰で眠るように死んでいった。病院のスタッフもとても丁寧な方々だった。いろんな意味で恵まれていたと思う。

霊安室に集った私たちには悲壮感もなく、わりと明るく話していたと思う。「みんなで立ち会えてよかった」「それにしても長生きしたね」等。死亡診断書には「肺炎」と書かれていた。日本人の死因第三位は肺炎ということだが、それって『特に大病をしていなかったけど、風邪をこじらせて肺炎になってしまった』という人もけっこういるんだろうなと思う。

うっすら化粧をしてもらった祖母の顔は穏やかで、白く光沢のある布に包まれて、花嫁衣裳のようだった。

祖母が好きだったもの

さて、棺に何を入れてあげようか―となったとき、私は一発で「ファミコン…!」と思った。まだそれほど目が悪くなる前(1980年代)の彼女は、ファミコンに熱中していた。当時60代、大正生まれのゲーマーである。スーパーマリオをクリアし、「8-4はこっちの道を行くのよ」とクリアするためのルートを把握しては、ピーチ姫までたどり着いて、小学生だった私の尊敬を集めたものだ。攻略本の事を虎の巻と呼んでいた。ディスクシステムの『夢工場』も得意だった(スーパーマリオUSAの元となったゲーム)し、テトリスやドクターマリオなどのパズル系も鮮やかにこなした。

そんな彼女もスーパーファミコンの時代になると「ボタンが多くて覚えられない」と拒否するようになるのだが、彼女の青春の一ページは確実にマリオと共にあった。ということで、冒頭の画像を色鉛筆で描き、彼女の棺に入れたのだった。

他の親族が写真や手紙を入れる中、浮いていたけれど仕方がない。

初対面の牧師さんとデュエット状態になる

さて、祖母はクリスチャンだったので、葬儀はキリスト教式でやってほしいという希望があった。晩年は教会に通っていなかったため、牧師さんは急遽葬儀場に紹介していただいた、面識のない方にお願いすることになった。

葬儀の当日、私は式次第を見て白目を剥いた。

チョイスされていたのは知らない讃美歌で、しかも歌詞しか載っていなかったのだ。

祖母以外の親族ではクリスチャンが不在、かろうじて私がミッションスクールに通っていた程度だった。唯一キリスト教の礼拝に慣れている私ですら知らない讃美歌がチョイスされたということは、讃美歌斉唱の間はみんな気絶して過ごすことになる。

結局、実際にそんな感じになった。一番は、牧師さんの独唱。二番に入ってようやく、一番を聴きながら必死にメロディを覚えた私も歌い始める。ほぼ牧師さんとデュエットしている状態である。

礼拝あるあるなのだが、讃美歌には練習というものがない。1000曲以上ある中から、どの曲をチョイスするかはその日の説教をする人次第だ。当然、知らない曲が選ばれることもある。歌集を見つつ、楽譜を頼りにぶっつけ本番で歌ったりすることは、ミッションスクールでは日常茶飯事だ。

キリスト教に縁のない親族らは、『この状況なんなの?』という顔で気絶していた。私も久々に「ぶっつけ本番歌唱」のために必要な筋肉を使った、そんなひとときだった。

一周忌でのリベンジ

一周忌にあたる記念集会の時は、私は策を講じた。

牧師さんから讃美歌の何番がチョイスされるか聞いておき、家にある歌集で母と共に練習。当日も、歌集を拡大コピーして参列者に配った。

記念集会はオルガンなし(墓地のそばの屋外)で行うから、さすがに牧師さんとデュエット(アカペラバージョン)は回避したいと思ったのである。

おかげで、なんとか回避は成功。讃美歌斉唱を終えてホッとする私をしり目に、やはり親族は『この状況なんなの?(再)』という感じだった。

キリスト教式の葬儀

初めてキリスト教式の葬儀を経験してみて、いろいろ気付きがあった。

宗派や考え方にもよると思うが、メリットとしては、お通夜、三回忌などがなくシンプルであること(その分、費用もかからない)。お焼香、玉串をささげるなどの、参列者個人が手順を覚えて注目されるような場面がないこと。暗すぎないこと(死者はいつか甦るとされている思想)があると感じた。

しかし普通の日本人にとってハードルになるのは、やはり讃美歌斉唱だろうか。知らない歌をいきなり歌えと言われて、対応できるタイプの参列者がいないと、とても寂しいことになる。当たり前だが、キリスト教や讃美歌に対して多少の免疫がある遺族が最低一人はいた方がいい。

この時期、ちょうど別の親族で神式の葬儀に参列する機会もあった。故人や家族の価値観、地域の風習などで、お別れの形もさまざまだなあと思うのだった。

讃美歌斉唱での気絶問題を気にする余裕があるくらい明るい葬式だったということは、彼女の人生は幸福だったと思う。命日にSwitchやるかな。

彼女は生粋のマリオ派だったけど、私はマリオよりカービィ派なんだよね。

(女性ゲーマーの家系…。)






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