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生きて思想せよ



 バスに揺られながら、高野悦子の本を読んでいた。彼女の本を読むと、私はいつも頭の中を整理したくなる。ぼんやりと己について考えたので、文字に起こしてみることにした。

 私がこんなふうに、人生に行き詰まるようになってからもう三年が経つ。
 心が病んだとき、支えてくれたのは家族と音楽だった。コロナ禍で、世間的にもどうしたって人に会えない状況にいたので、そばにいてくれる身近な存在にとても救われたと思う。
 何度でも、この先も言い続けるけれど、私は本当に、音楽を愛している。ハンブレッダーズも
SEKAINOOWARIも大好きで大切で、この先もお世話になり続けるであろう人たち。一番素晴らしい夜はまだ来ていないこと、何もわからないままでも生きていかなければいけないこと、沈黙さえも素晴らしいと思えること。己のすべてに絶望していた私をここまで生かしてくれたうちの大半を占めるのは、紛れもなく彼らの音楽だった。

 自分がギターを触ることなどないと思っていた。というよりは、弾きたいやりたいと口で言うばかりで行動できないまま死んでいくんだろうと思っていた。
 はじめてギターに触れたあの夜の高鳴りを、私はずっと覚えている。経緯を遡ると長いので、あえてここでは明示しないけれど、共に過ごした月日でみたらまだ一年にも満たない人たちが、気づけばとても大切な存在になっていた。単なる偶然ではなく、運命で必然だったのだと思う。もし私だけがそう思っていたとしても良い。それくらい、この出会いは私にとってはバタフライエフェクトだったように思う。
 まだまだギターは下手くそで、思うようには鳴らなくて、そのくせなかなか最近は触れてもいない自分が憎いのだけど。それでも、そばにあると安心する。父にもらった緑色のイカしたギターが、家に帰るたびにおかえりと言ってくれている気がする。それで、私は今日も生き延びたな、と思うのだ。

 二十五になる私の今後の抱負は、ギターを練習すること。旅をすること。文字を書くこと。そして、大切な人を大切にすることだ。
 大切な人の大切な人になりたい、と定期的に思う。私の自己肯定感が皆無であることや、人間そのものをあまり信用していないことに起因することなのだけれども、私は、誰は対しても見返りを求めてしまう悪い癖がある。相手は相手、自分は自分。そんなことはわかっているのに、同じような価値観で、同じような温度でわかりあっていたいと思ってしまう。大切な人の大切な人でありたい。それはとても強欲で傲慢な考えである。
 家族や友人、大切な人たちと、私はすべてを分かり合えない。どんなに頑張っても、できないものは仕方ない。だからもっと、もっともっともっと大切にすれば良い。同じだけ自分を大切に思ってもらえなくても、価値観が違っても、私にとってあなたが大切なことは変わりがない。分かり合えないことを分かった上で、私は私なりの全力で、あなたを大切にしていきたい。

 二十五歳が近い。こんな私でも、四半世紀も生きてしまっている。
 死にたいと思うことは自由だ。消えたいと願うことも、逃げたいと言うことも。けれども命を無駄にすることは、私を私以上に大切にしてくれた家族への冒涜にあたる。
 どうにかなるだろうか、ではない。どうにかしてみせるしかないのだろう。

 車窓から見える街並みは穏やかになり、気温が下がった気がした。目的地が近い。
 これから、大切なたちの生まれた場所へ行く。本当は三人だったけれど、ひとりが急遽来れなくなってしまった。けれどもそれは、次の予定ができたということだ。リベンジというのは、生きる理由になる。

 岩手県大船渡市。晴れ女の私が降り立ったもんですから、天気が良いようです。

#日記 #旅 #人生 #音楽 #思想

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