ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル」を読んで
いつも行く図書館に、ユゴー生誕200年を記念した撰集、「ヴィクトル・ユゴー文学館」があります。いつか読もうと思っていた、この小説を手に取りました。
主人公であるジャン・ヴァルジャンが、一片のパンを盗んだために長く投獄されたところから、話は展開します。
小説全体について
著者は、当時生きてきた人々を登場させ、当時の社会を描きます。
下層社会で、親を亡くした子供が、パリの貧困地域でいかに生きてきたのか。
大学に通う将来有望な若者が、何故、革命に夢を抱き、戦場に出て権力と戦い、尊い命を落としてしまうのか。
権力階級は、王政、共和制と、政治組織が目まぐるしく変わる中で、荒れ狂う難破船の搭乗しているような状況で、どのように生きてきたのか。
長編小説ですが、部の構成がしっかりしており、各編を読みやすい長さに区切ってあります。
流れるような文章で、訳者の力量に感服するばかりです。
主人公と共に時を過ごす
長編小説を読んでいると、主人公と長い時間を共に過ごしてきたような錯覚を覚えます。
主人公は、立ち直れないような、自身に降りかかる試練に、超人的な精神力で、最後は乗り越えていきます。
主人公が試練に立ち向かえたのは、迷いながらも道を間違えなかったのは、聖職者との出会いと教えでした。
読者は、悲惨な運命を一緒に嘆き、どうなってしまうのかと、ハラハラドキドキして、読み進めていきます。
これが、海外文学の大作を読んだときに、一番感じる楽しみであり、醍醐味ではないでしょうか。
フランスへの強い思い
時々、著者が小説の中に登場します。自分の考えを述べ、時には批判を加えます。司馬遼太郎が、歴史小説の中で、史実について自分の見解を述べるように。
ナポレオンが失脚した、ワーテルローの戦いとは何であったのか。戦況の初めから最後まで、詳細に描いています。
壮絶な攻防があり、多くのヨーロッパの人々が無為に死んでいき、国境に近いベルギー南部平原が、血に染まった大地となりました。
勝敗を決めたのは、両軍の指揮官の卓越した判断ではなく、ちょっとした情報や、偶然の出来事でした。
著者が、戦争のあった時間に戻り、近くで現場を冷徹な眼で眺めて、叙事詩を読んでいるようです。
当時の社会体制を批判します。法、特に刑法は、人を正当に裁くことができない。烙印を押された人は、更生するどころか、社会からはみ出されてしまう。人は、生まれ出た階層が貧困層であれば、そこから抜け出すことはできない。
主要人物が、パリ中を歩き回ります。作者は、何度も歩いたであろう、古くからの建造物、昔からある通りや小路を、愛着を込めて丹念に描いています。
フランスを誇りに思い、パリを愛していることが伝わってきます。
現代をユゴーは何を思うか
現在、世界は、ウクライナ、ガザ地区での戦争を抱えています。
少し前までは、誰もが主権国家が法治主義と民主主義を唱え、それが、世界共通の潮流であると信じていました。
しかし本当は、世界は、ロシア、中国などを中心に専制国家のが多く、国際機関が仲裁に機能しない状況であることを思い知らされています。
西欧諸国は、グローバル化を進める中で移民問題、格差問題を抱えることとなりました。
私はこの小説を読みながら、西欧諸国において、国民が人権・民主主義を勝ち取るため血を流してきた歴史・経験は、今の世界の問題に何か示唆を与えるものになってほしいと、感じました。
ユゴーがタイムスリップして、現代に現れたら、この状況に何を思うのでしょうか。
以上