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徒然日記2020.11.02

最近、素晴らしい本に出会うことが多い。アンリ・エレンベルガー著『無意識の発見 上・下』(弘文堂)。ああ、なんて素晴らしい本なんだろう。私の探求していた、心の問題について、河合隼雄他多くの方が引用していた原著を手に入れた。上下巻箱入りの大著だ。

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かなり状態の良いものをネットの古本屋で手に入れることができた。幸運に感謝。まずはのっけから引き込まれる。「第一章 力動精神療法の遠祖」にてドイツの人類学者アードルフ・バスティアーンが南米ギアナでの野外研究の際、激しい頭痛に見舞われて、現地の呪医に「普段のままのやり方でいいから自分を治療してほしい」と頼み体験した貴重な原始治療を引用する。

呪医はバスティアーンに、「とっぷり日が暮れたら、すぐに自分の住んでいる小屋まで来るように。その時には、自分の吊り床(ハンモック)とタバコの葉を二、三枚、忘れずに持ってくること」と言い渡した。バスティアーンが小屋に行ってみると、床の上に碗が置いてあり、それに水が盛ってあった。持参のタバコの葉は碗の中に投げ込まれた。原住民が三十人ばかり集っていて、治療は連中の面前で行われた。小屋は窓も煙突もなく、入口の扉を閉めたら中は真暗になった。患者のバスティアーンは、まず「吊り床にねてじっとしているように」と言われた。頭をもたげたり手を挙げたりしてはいけないのである。「足が地面についたら生命が危ないぞ」とおどかされた。原住民の若者で、英語の分かる者が一人、別の吊り床にねて、呪医と、ケナイマという亡霊とも鬼神ともつかぬもののことばを、どうにかこうにか通訳してくれるよう、手配されていた。呪医はまず呪文を唱えてケナイマたちを呼び出した。まもなくありとあらゆる種類の物音が聞こえ出した。ケナイマたちが臨場した証拠である。はじめは低く静かな音だったが、だんだん大きくなり、果ては耳が聞こえなくなる程やかましくなった時もあった。ケナイマたちは各自別々のことばを使う。このことばの違いは、ケナイマのいわゆる霊格の違いを表すということであった。ケナイマの一部はどうも中空を飛び交っている感じだった。バスティアーンは羽ばたきの音を聞き羽風を顔に感じた。一度はどのケナイマか知らないが体に触れたような感じがしたのでバスティアーンはすばやくケナイマの体の破片を二、三箇噛みちぎった。あとでみるとそれは木の葉であった。呪医は大きな木の枝を宙に振り回していたに相違なかった。
 ケナイマたちが床に置いたタバコの葉を舐める音も聞こえた。とにかく儀式は患者バスティアーンに圧倒的感銘を与えた。バスティアーンは催眠術にかかったような一種の眠りの中に徐々にのめりこんで行った。物音から遠ざかる度ごとにうっすら目を覚ましはしたが、物音が再び強まると前よりもさらに深い感覚喪失状態の中に落ちて行った。儀式はたっぷり六時間つづいた。呪医が手をバスティアーンの顔に当てて儀式はにわかに終わった。患者のバスティアーンが身を起こした時にも頭痛は消え失せていなかったが、呪医は「治療済みじゃ」と称して治療代を請求した。「治療した証拠だ」と呪医はバスティアーンに毛虫を一匹出してみせた。呪医にいわせれば、「これこそ”病気”で、わしが額に手を当てて抜き取った」のである。

真っ暗闇での呪術的な儀式によって、深い無意識の世界と接近する。そして六時間もの儀式のあとに頭痛の根源の象徴である毛虫を見せられた。なんて興味深いのだろう。エレンベルガーの無意識の発見は、心理学と人類学のつながりをしっかりと感じさせてくれる。まさに私が心理学の河合隼雄から人類学の中沢新一に興味が移ってきたように、無意識の探求の根源にシャーマンや呪医の世界がしっかりと描かれている。なんて素晴らしい本に出会ったのだろう。多くの方が引用される大著だけあって、とても興味深い。興味深すぎる。

明日は休みなので、たっぷりと休養して旅の疲れを癒したい。今日の日記はここら辺で終わろうと思う。

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