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キレイになる


 髪を切る音が好きだ。
 そもそも使用しているハサミが上質というのもあるが、不可逆であるにも関わらず澱みない、「その人だけが見えている道」を切り開いていく様を頼もしく感じるからかもしれない。

「何かあったんですか?」

 シャキ、と耳元で音がする。


 他人は知れない。髪型を聞かれた時、例えばKPは「いつもと同じで」とか「なんか似合いそうな感じで」とふわっとした注文をするが、私はイメージとなる写真を見せて、前髪の長さ、横髪の形、後ろ髪の重さ、と事細かに指定する。男は「はい、はい」と聞きつつ、「イジると写真のイメージを大きく逸れるポイント」だけ指摘し、最終互いに落とし所を見つけて「よろしくお願いします」。この日も同じように「はい、はい」と聞くと、私の背後に回って、バレッタで髪の一部を上げて留めた。

「何かあったんですか?」の「何か」。それは何も具体的にコレというものばかりじゃない。ただ、きっかけがあるとするなら。
 目を瞑る。浮かんだのは正面から見返す目。
 まっすぐ向かってきたメガネ君は「こんにちは」と言った。
 驚く。認識されたのだと思った。どうして見つかったんだろう、とも思った。


 時に、わかっていて正しいものを選べないことがある。
 例えばシルバーの方が似合うと分かっていながらゴールドを選んだり、ピンクの方が肌馴染みがいいと分かっていながらオレンジを選んだり、ショートの方が似合うと分かっていながら襟足を伸ばしたり。
 その感覚はどこか反抗期を彷彿とさせる。なりたい自分と現実の乖離。向かうにあたって、その「正しさ」はまだ早く、進んで身につけるに至れない。だから実際近づくことで初めて受け入れられる思いがある。

〈イランイランとベルガモットとローズマリーです〉

 イランイランの持つ色香。実のところ私にとって星座で見てもパーソナルカラーで見ても属性は同じ。それは一種の個性だった。オンとオフを切り替えるベルガモット。ミカンは何も愛媛だけの特産ではない。

「成る」
 例えば2年で全細胞が入れ替わるというように、今の私は「あの時」とは別の生き物。変身。髪型を変えて、衣装を変えて、ムーンプリズムパワーメイクアップした女性戦士は、そうすることで何を纏う。
 共通する。それは

「自信が、ついたんだと思います」

 シャキ、という音がする。潔いこの音がとても好きだ。



 ゴールドはソウさんの色。長い襟足はメンズライク。ピンクを選べないのは女性性を否定するため。そうして意固地になっていたもの。

〈何だコレ〉

 そうしてガッチガチに強張っていたもの。そうまでして欲しかったもの。それは、こんな自分でもここにいていいと思える自信だった。
「受け入れる」ようになって、拒絶していた、張り合っていた全てが内側に流れ込んで来るのを感じた。加えて受け入れるほどに自分の器がすくすく育っていく。そんな自分を好きになれることは、己に付随するもの、似合うものを好きになれることでもあった。
 シルバーもピンクも私の色。そうして、

 シャキ。
 首の後ろでする音。

「そうですか」と、男が束の間腕を下ろす。
 音が止む。



 男と向き合うのはいつだって鏡越しだった。
 男性は一度に複数のことをするのが苦手だと聞いたことがある。けれど話をするために手を止めるのでは仕事にならない。そういう意味でも美容師というのは大変な仕事だなあと思う。
 この日話していたのは年齢と時間の価値について。
 若い時の時間の方がどうしても価値は高い。

「師匠が口を酸っぱくして言ってたんです。『どうせお前ら独立したら練習なんかしなくなるから、今のうちにやっとけ』って。あの時はうるせえとしか思わなかったんですけど、今はやっといてよかったって思います」

 20代。最も価値ある時間を、金銭的にも精神的にも余裕のなかった時間を、必死で駆け抜けた。だからか、と思う。話しながらでも手を止めずに済むよう、身体に覚え込ませることで、3割の力で最大限のパフォーマンスを発揮できるようにする。客の目的はあくまで髪を切ること。数ある美容室の中、いつだって対価に見合うか吟味されている。だから「それ」は、裏を返せば手を止めている間、この話の容量は男の7割を超えているということだった。

「今になって思います。もっとバスケやっときゃよかったって」

 店舗の外に設置されたゴール。室内に飾られたユニフォーム。
 10年前にしかできないプレイがあった。じゃあそれを犠牲にするだけの価値を生んだと、結局自分自身が納得できるか。

「でも、やっぱり同じ時に戻ったとしても同じ道を選ぶと思います」

 その腕が再び上がる。シャキ、という音が室内に響く。
 空気の読めるアシスタントは控え室に下がったようだった。



 視野は、始めから広くなくていいと思う。
 むしろ狭いから、選択肢が限られているからこそ、それを研磨する。
 そうして突き詰めて初めて顔を上げる。少しずつ世界を広げていく。
 人によって選ぶものは違う。けれど、その「深さ」だけは共通していて。

「似合うと思いますよ」

 歯切れの良い音を最後に目を開ける。見たことのない自分がそこにいた。
 いつだったか同じことを言われた。あの時も確か、大きくフォルムを変えた時で。

〈今の速水さんには、こっちの方がよく似合う〉

あれから2年が経ったのだ。
 復習。美容院の「容」の字。意味は「入れる、聞き入れる、ゆるす。中身。すがた、かたち、ようす。ゆとりがある、やすらか」



 その後3日もして、ようやく新しい髪型が馴染んできた頃、ふと見せた写真との違いに気づく。横髪の厚さ。横顔のフォルムは合ってる。けど、正面から見た時、写真に比べて一回り厚めに見える。いつだってイメージは崩さない男が、珍しい。
 違和感。次の瞬間、鏡の中の自分が息を呑んだ。


〈まあるくしたいんです〉


 あの時、大きな鏡を前に、人差し指で自分の顔の前に円を描いた。

〈加齢に伴ってどうしても顔が縦に伸びてくから。元々の作りが縦長なんで、まるっとしたショートがいいかなって〉

 まるっとしたショート。
 人の美醜は結局のところバランスに終始する。「それ」は自分でも分かった。実にバランスがいい。

〈でも、やっぱり同じ時に戻ったとしても同じ道を選ぶと思います〉

 与えられたことをただやるだけだと自由度の低い仕事。から、生み出すイメージ。その人にとってのなりたい自分。それを実現する。価値を生む。

 すげえな。

 男の選んだ道は「正しい」。一客として素直にそう思う。裏を返せばそう思い続けているからこそ、効率を外れるところに立地があっても通い続けているのだ。そうしてその仕事もまた、私の自信を補完する。

 背筋が伸びる。私もまた生み出す。
 自己肯定感の高いこの思いはきっと、巡る。 






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