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【感想】海外ドラマ「ベイツ・モーテル」ー母と息子の愛憎劇
突然ですが、私はホラーというジャンルが大好きです。映画でも小説でもアニメでも漫画でも、気付けば目で追っているのはホラーばかり。
とはいえ怖がりなので、夜中に目が覚めてしまうとえらくビビります。
暗がりで目を凝らして周囲の様子をうかがい、なんか白っぽいものが…!幽霊!?とあわてて電気をつけたらただのハンガーにかけた服だった、なんてことがしばしば。
それでもやめられない止まらない、中毒性があるのがホラーというジャンルだと思っています。
そんな私がアマゾンプライムで「ホラー」というワードで検索していたところ(日課)、目に留まったのが「ベイツ・モーテル」というドラマ。
あの有名なホラー映画「サイコ」の前日譚を描いた作品ということで、こりゃ観るっきゃねーぜ!と胸を躍らせながら観始めました。
(まあ、サイコ自体は観たことないんですけどね)
美人で若い母親と素直で純朴な息子の2人が、新たな街で新しい生活を始めよう!と、幸せな日々を思い描きながら古いモーテルに引っ越してくるところから話は始まります。
しかし幸せな日々は長くは続かなかった。
というかあっという間に木っ端みじんに打ち砕かれます。
1つの不運な出来事が、さらなる不幸を呼び、積もり積もって身動きがとれなくなるほどの、息苦しいほどの負の連鎖に2人は巻き込まれて行ってしまいます。
母親のノーマは幼少時代を辛い環境で過ごしていました。
親の愛情を与えられずに、兄と震えながら恐怖を堪えて生きてきたのです。
それもあってか、息子のノーマンに対する過保護ぶりは常軌を逸していました。
ノーマンが成長すること、自分のもとから離れていくことを極度に嫌い、自由を制限してしまうのです。
思春期真っ只中で女の子との付き合いに興味津々なノーマン。
ですが、ノーマはそれすらも嫌がります。
心優しく母親思いのノーマンは、最初はそんな母親の言動を突っぱねて抵抗しながらも、最終的には受け入れてしまいます。
母親には自分しかいないし、自分にも母親しかいない。
たった2人きりの閉じた世界。
このノーマンのなんてことない、思いやりから生じた選択が、やがて悲劇へと繋がっていってしまうのです…。
とざっくりと導入部分を書きなぐってきたところで、最終話まで観た感想を述べたいと思います。
シーズン1~5まである長編作品ですが、「次のエピソード」を押す手が止まりませんでした。
それくらい見応えのあるドラマです。
未視聴の方はネタバレが含まれるので要注意です!!
ある意味ハッピーエンドでした。
ノーマンはあの世でノーマと再会することができた。
ようやく本当に幸せそうな2人の笑顔が見られました。
結局、2人の間には誰も入り込むことができなかった。
ノーマが一度は愛し、夫婦としての生活を続けていくことを切望したロメロでさえも。
もう一人の息子であり、ノーマとノーマンを陰ながら支え続けてくれたディランでさえも。
近づいては離れ、離れては近づき、お互いに傷つけ合い、時に失望し、時に憎みながらも、奇妙な赤い糸が切れることはなかった。
母と息子は、真に2人で1つの存在だった。
2人だけの完結した世界。
それが、互いに臨んだ幸福な世界。
ディランがいいやつすぎて辛い。
登場したての頃は、2人の生活を脅かす異質な存在かと思ったのに、気付けばこのドラマで一番のいいやつになっていた。
しかもイケメン。
不幸中の幸いは、ラストで彼が妻と娘に囲まれ幸せそうに生きていたこと。
死亡フラグ乱立状態だったから本当に安心した。
ノーマンがノーマが死んだ現実を受け入れられず、創り出した架空の世界に囚われてしまった時も、ディランはなんとか正気に戻そうと奮闘していた。
あの時の彼の心情を思うと胸が張り裂けそうになる。
だって、唯一の兄弟であるノーマンが、死んだ母親とまだ一緒に生活を送っている(と思い込んでいる)んだもの。
母の作った料理を食べて、楽しそうに話して…間近で大切な人のそんな狂気的な姿を見ていなければならなかったなんて、恐ろしい拷問だ。
ロメロは本当に報われず可哀想だった。
散々ノーマに振り回され、それでも(勝手に)一途に尽くし、ようやく彼女の愛情を手に入れられたかと思いきや、結局ノーマンには勝てなかった。
ノーマの心の隙間を、ぽっかりと空いた虚ろな穴を、優しく両手で埋めようとしていた温かい人だったのに。
ノーマの真の愛は得られなかった。
それはノーマンただ一人だけに向けられていたのだから。
本当に報われない。
最後まで通して観て思ったことは、単なるホラー風味ドラマではないということ。
誰にでも起こりうる悲劇を描いた作品だ。
生い立ちが違えば、育った環境が違えば、どこかで一つでも歯車が狂ってしまえば、わたしにだって、あなたにだって起こりうることだ。
他人事ではない。
だからこそ、不安定でおかしいと分かりながらも終始息子を愛し続けたノーマの強さ、底知れぬ母親としての愛情は尊敬に値すると思う。
たとえ道を間違っていたとしても。
自分だったら、きっとそこまでできはしないだろうから。
ノーマとノーマンはきっと、天国へは行けないだろう。
犯してきた過ちを考えれば地獄が当然だ。
それでも、2人ならば幸せなのだと思う。
そして生まれ変わった来世でもきっと、この赤い糸は続いていく。