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遠ざけるのではなく受け入れる必要がある

先日、母方の祖父の墓参りに行った。

実に10年ぶりだ。

それだけ長く時間が空いた理由は、元々母方の親戚とは疎遠な事もあるが、単に場所が遠いからというのもある。実家からだとかなり時間がかかるので、なかなか行けない。

しかし、今住んでいるところからは車で四時間程度。スケジュール次第で日帰りも可能な距離だ。

私が生まれる遥か前に死んだため、祖父には会ったことはなく、遺影でしかその顔を知らない。しかし、守護霊を視てもらう機会が何度かあって、その度に告げられる見た目がその祖父だったので、いつかきちんとお墓参りに行きたいと思っていた。

そしてたまたま先日故あって、祖父が家に来てくれたのだ。夫いわく、先祖の守護霊は常にいる訳ではなく、時折見に来てくれているのだという。その時に夫が「お墓参りに行こう」と言い出した。私は少し躊躇いもあったが、せっかくだからと、行く事に決めた。

実を言うと、お墓のはっきりとした場所はわからない。だから、本当は母親経由できちんと確認してもらうべきだった。しかし、母にはどうしても連絡したくなくて、記憶を頼りに行く事にした。

10年前の記憶は、なんとなくある。あと夫と私には霊感もあるし、祖父にお墓のところに立っていてもらえればなんとかなるだろう、という楽観を持ち、車を走らせた。

しかし、GoogleMapで記憶を頼りに確認して、最初にここだと思った霊園は、回ってみたら全く違う場所で、よくよく思い出してみたら同じ市内の別の霊園だった。夫に申し訳なくて恥ずかしくて死にたくなった。

今度こそここだと思った場所があったので向かうと、景色も記憶と合致する部分が多く、おそらく間違いなかった。しかし、市が管理している墓地らしく、とにかく広くて数が多い。

しかも、その日は最高気温29度。少し気温が下がったとはいえ、「残暑厳しい」と言うには充分な暑さだ。そして、たとえ善良であっても、この世のものではない人間の魂が集まっている場所というのはあまり居心地がよいものではなく、体力はゴリゴリと削られていった。

どうしても母親へ連絡する事を避けたかった私は、夫に「おじいちゃんどこにいるかわからない?」と聞いたりしたが、夫は縁が薄い上、この時の墓場には、お盆はとっくに過ぎているのに、親族の墓参りを待っている人が多く、多くの声が聞こえて、余計に分かりにくかったようだ。

埒が明かないので管理事務所の方に聞いたら、「持ち主の名前がわかればお墓の場所が調べられる」と言われたので、いい加減諦めて、墓の持ち主である叔父の名前を聞こうと母親に電話した。

仕事帰りの母は電話に出てくれ、こちらの質問にだけ答えて、私がなぜそんな事を聞くかをあまり深堀りはしなかった。

少し拍子抜けしてしまった。実家で暮らしていた頃、母はとても過干渉で、私の中にはまだその頃のイメージが強く、もっと根掘り葉掘り聞かれるかと思っていたからだ。駅にいたので長時間電話していられなかったせいもあるかもしれない。しばらく経ってからメールが来て、名前を聞いて何に使うのか聞かれた。

盆に帰省しなかった手前、今、そのお墓の近くにまで来ていることは言いづらかったので、「うちからは(実家よりは)近いのでいずれ参りたいと思った」と返した。そしてあろう事か私は「もし機会があれば、お母さんも一緒に行こう」と付け加えて送った。

自分でも、どういう心境の変化だろうと思った。ハッキリ言って、母とはあまり関わりたくないと思っている。それでも、久しぶりに声が聞けて、少しほっとしたのは事実だった。

私はずっと母親の愛の形を受け入れられなかった。

母親の母親、つまり母方の祖母は、自制がきかない人で、アルコール、ギャンブルなどにハマっていた。そのためにいつも貧乏で、そのうえ母の給食費を着服したりしていたらしい。大人になってから知ったが、おそらく発達に難があった。それが悪い事とすらわからない様子が子供心に不思議でならなかったが、それを聞いて何となく腑に落ちた。

そしてそんな環境下で育ち、甘える事が許されなかった母は、私を甘やかす事などできるはずもなく。ただ、頼りなかった自分の母を反面教師に、しっかりと、しっかりすぎるくらいに働いてお金を稼いだ。

しかし、感情的な繋がりを求める傾向が強い私は、産休明け早々に働きに出てしまった母を見て、見捨てられたと感じたし、毎朝早くに家を出る時は半泣きで見送った。家にはほとんどいなかったし、平日に親が同伴する行事も、仕事で来れない事が多かった。勉強は頑張ったら褒めて貰えたから頑張ったけど、結局そんなものが欲しい訳じゃないから、途中で息切れした。

過干渉で、私の事を管理・監視・コントロールしようとする割に、私の、私自身の気持ちになんて微塵も興味を持ってくれなかった。

お金や欲しいものを貰っても、感謝すべきだと頭ではわかるのに、心の中に湧き上がるのは「私が欲しいのはそんなものじゃない」という怒りばかりだった。

欲しかった愛が手に入らなかったから、私は母を憎んだし、拒絶したし、おそらく無意識の行動で、母を責めていた。

その悲しみと怒りが、なかなか手放せないでいる。

最近も、まだ母の干渉がある。母といると自分がわからなくなってしまうから、離れて暮らしてからはほとんど必要な時以外は連絡は取らないようにしているのだが、ある事情から月に一度は必ず連絡を取らなければならない。ただその度に、私の様子を伺う質問が、大抵、仕事絡みなのだ。

母は私が働けなくなってしまった事を知っている。はやく社会復帰して欲しいとも思っているだろう。私の事は、ダメ人間だと思っていて、はやく仕事をしろと、内心では思っているのかもしれない。そう思うと「この人は何もわかってくれない」という悲しみと虚しさと悔しさでぐちゃぐちゃになるのだ。

この毎月の事情を、さっさと解消したくて仕方なかった。これさえなくなれば、私は母から自由になれる。母に愛されなかった事実があったとしても、私の人生に母親の影がなくなれば、なかった事にできる、生きていける。

渦中では、ここまでハッキリと言語化は出来ていないが、ずっと水面下でそう思っていた。

しかし、母の声を聞いた時、心の中で私はきっと安心したし嬉しかったのだ。悔しいけれど、愛着はそれなりにあるのだ。

母は、ただ、愛し方のわからない人だった。私が求めた愛情を与えてくれる人ではなかった。ただそれだけの事。

最近、その事実をゆるやかに受け入れられそうな雰囲気が自分の中に生まれてきていた。しかし同時に強い抵抗もあり、葛藤で内面が荒れるので、余計に母を忌避する気持ちが強まっていた。

しかし電話で声を聞いた時、その気持ちが緩んだのだ。それでなんとなく、一緒に行こうなんて言ってしまった。

私たちは、すれ違っていただけで。相手がどう思っているかはわからないけれど、お互いがお互いを見ないまま、お互いを自分と同一視したまま、長い時間を過ごしてしまっただけ。だから、適切な距離感をもう一度探せばいい。

母は「今すぐには無理ですが、機会があれば」と答えてくれた(我々親子は、メールのやり取りだけはなぜか敬語だ)。

……結論から言うと、お墓には参れなかった。

叔父の名前を管理事務所の人に伝えたら、「持ち主の許可を取れたら場所を教えられる」と言われたのだ。疎遠な親戚にいきなり連絡するのはなんとなく気が引けたので、連絡するのはやめてもらった。

そのあとすぐ諦めた訳ではなく、記憶を頼りにもう一度だけ、探した。その霊園は本当にただっぴろく、大きな敷地が複数の区画に分けられている。その中の一区画分だけ、ぐるりと回った。しかし、祖父の墓は見つからなかった。

体力もそうだが、時間も限界だった。翌日に予定があるため、その日のうちに帰らなければならなかった。

気温がもう少し低ければ、もっと探せたかもしれない。祖父は残念そうにしていたし、私もせっかく来たのにという気持ちでいっぱいだった。

そして残念な気持ち以上に、モヤモヤが残った。

もし今日、お墓参りする事が今の私に必要な行動だったのなら、きっとお墓は見つかっていたと思う。これまでも、本当に必要な時は、運命の導き、とでも言うようなものがあり、なんとかなる事が多かった。しかし今回、お墓は見つけられなかった。じゃあ一体、何のためにわざわざこんなところまで車を走らせて来たのか。

「母親と話すためだったんじゃない?」

納得がいかない、とこぼす私に、夫がそう一言告げた。

「……そんな事のために?」
「そうでもしないと、話さないでしょ」

何も言い返せなかった。

実は、行きの道中でもたまたま母親との関係性の事が話題に上がっていた。

私は母に対する強い怒りと同時に、罪悪感も抱いている。とにかく強い重圧がある。それが、ある事がきっかけで、もしかしたらいずれ解放されるのでは、と夫が言った。

夫はそれに「なんとなくだけど」と付け加えていた。しかし夫の「なんとなく」は大抵当たる。

素直に、そんなふうになったらいいなぁ、と思った。しかし同時に、そんな事有り得ない、と否定する自分もいて、でもその希望があまりにも優しすぎて、気持ちを否定しても、涙が溢れるのを防げなかった。

そんな矢先の、母との電話だった。だから、「たかだかそんな事のためにここまで……」と思う反面、今回の旅は、母との関係性を見直すための旅だったのだと、静かに納得してしまった。

もしかしたら祖父は、私が母とすれ違っている事を、ずっと懸念していたのかもしれない。
どんな人か会ったことはないけれど、優しさは感じる。

お墓に参れなかった事で祖父から少し寂しそうな雰囲気を感じたので、「ごめんね、次はちゃんと調べて来るから」と告げると、「またいつでもおいで」と聞こえた気がした。

私たちは霊園を後にした。

人生から母の影を消してしまいたかった。母の存在があるから、私が揺らぐ。母の事を考えないように出来れば、私にはなんの問題もなくなる。言葉にはしないまでも、そんなふうに思っていた。

ずっと自分がどこか欠落しているという感覚があった。それは、きっと子供の頃に愛されなかったからで、でもそれを埋めるのは、何も母の愛である必要はない。私は他の人の愛ででも、その欠落を埋めていける。そう思っていた。

でも、どれだけ他人に愛を求めても、欠落は埋まることはなかった。

それは当然だ。欠落は欠落ではなく、自分の一部なのだから。

自分の一部を勝手にしまい込んで、なかった事にして、それで足りない足りないと嘆いているから、いつまでも欠落感が消えないだけ。

なかった事にしたのは、母に愛されたかったけど、愛されなくて傷付いた自分。

母を避けていた理由は、「心が荒れるから」。求めた愛情が手に入らなかった事が、悲しくて、ぐちゃぐちゃした感情でいっぱいになって、苦しくなる。

苦しくなるのは、なかった事にした自分が騒ぎ出すのを、必死に抑え込もうとしているから。

抑え込むのは、母に愛されなかった自分の存在を認めてしまう事が怖かったから。

そんな自分は見捨てられる、愛されないと思っている。事実、愛されなかったと、強く感じてしまっている。愛されない自分には価値がなく、この世にいてはいけないと、心の底で思っている。

そんな自分を受け入れられず、母の存在ごと否定しようとしていた。

しかし、感情とは解放されたがるもの。どれだけ理性で抑え込んでも、なくならないし、何度でも解放しようと母との関係性の中に存在する問題を顕在化させる出来事を引き寄せてくる。

だから、抑え込むのはやめて、受け止め、解放する必要がある。

先に「欠落を埋めるのは母の愛である必要はない」と書いた。それは言葉としては正しい。しかし、欠落を埋めるために、別の他人に求めても埋めることは出来ない。

欠落を埋めるには、まずそれが欠落などではなく自分自身だと認める事。 

それも自分の一部だと。そこにいていいと。
恐怖から反射的に抑え込もうとする自分も出てくるけど、それでも。

「愛されたかった」という自分の気持ちにきちんと向き合い、悲しみと怒りを自分事として受け止め、感情を感じ切る事。

「愛されていた」と無理やり思い込もうとする必要もない。

ただ、悲しかった、辛かったと、張り裂けそうな胸の痛みも、目頭の熱さも、脳の奥で何かがきゅっとなる感覚も、ただ感じる。

一度にやれば壊れてしまうから、少しずつやる必要があるけれど。

思えば、これまでも、その解放の過程だったのだと思う。今回また少し、ステップが進んだだけ。

今回の出来事と気付きは、大きな方向転換だった。

かつて、母から距離を置くことで、自分の人生を歩もうと思えた私は、母を遠ざけることが正しいことだと思ってしまった。

それは安全圏を確保するためのプロセスのひとつで、私には必要な事だったけど、そこが全てではなかったのだ。

自分の中の執着がクリアになるにつれ、母を避けようと頑なになっている自分に気付いた。本当に向き合わなければいけないところから目を背けて、随分と遠回りをしていた。

今回の出来事で、私の中の重圧は少し軽くなった。向き合うべきものの正体がわかったからか、素直に受け入れようと思えたからか。

あまりに静かで、言葉のイメージからはかけ離れているけど、もしかするとこれが「覚悟」という感覚なのかもしれない。

欠落は欠落ではなく、私自身であるなら、ただ抱きしめればいいだけなのだ。埋める必要などない。

いずれ、母に悪意はなく、ただ愛し方を知らないだけだったと、仕方のない事だったのだと、心から思える日が来るといいと思う。

見えないへその緒を断ち切って、私は私になる。


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逸見灯里
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