そのサービスは高いか安いか? ~価値が等しいと考えると得られるもの~
ものやサービスの価格が高い/高く感じるという話とは少し切り離して、価格と価格代替について概念を整理してみたい。この辺の話は経済学の分野であるというのは何となくわかるが、以下は経済学の知識は使っていないし、勉強もググりもしていない。私の生活で得てきた、ひとつの考え方を提示してみたい。効率が良いかという話でなく、そういう考え方をとってみると、少し生き方が楽になる、無駄なゴタゴタを排除してすっきりするという感じだろうか。思考実験のひとつである。結論として、価格相応という風に考えている。
結論:サービスはお金に換算できるし、双方向で等価だと考えると幸せに生きられる。
近距離の高速道路利用は高いか、贅沢か、という話を色々な所で聞いたことがある。実際にその影響を受けている。似たものとして、近距離の特急利用は出張費として認められるか、みたいな組織ルールの話題もある。近距離の高速道路利用を例に挙げるが、そういった概念全体に適用できると思いながら書く。
私の身近なところで言うと、とある高速道路の1区間は
距離 6.5km
所要時間 5分
料金 340円(平日昼間はETC料金も同じ)
近距離の高速道路利用は贅沢だ/いや必要だ、と対立する構造は以下のようなものだろう。
【乗らない/乗らせたくない派】
1)短縮できる時間は少なく、他の空き時間を考えたら短縮しなくても時間的に何とかなるだろう。
2)払わなくても何とかなるものに対して別途お金を払いたくない。払う予算が確保できていない。
3)短縮時間を時給換算したら、340×60÷5=4080円/時間。(私が接する人の中では)それ見たことか、高いではないか。
【乗る派/贅沢とは考えない派】
1)少なくとも私は他にも業務をしているのだからその5分だって惜しい。払う価値はあるのだ。
2)時給換算といっても私一人だけでなく、複数人の移動なら価値は上がる。
3)そもそもこれを議論する5分10分だってコストはかかっており、それを含めて使わせてよ。
若干、個人で利用するかという話と、組織の近距離利用禁止への不満とが交錯してしまったが、考え方のスタンスが異なることがわかる。
多分、合理的というか経済学的な考え方としては、短縮することによって得られる便益が、その関係者が短縮できなかった時の時間価値の総計とで比較し、便益が大きければ利用し、そうでなければ利用しないと言うことになるのだろう。上記のようなもめ事になって、誰か中立的な仲裁が入るときには、時給換算して、というデータが示されて、認める/認めないという判断が下されれば、両者の溜飲を避けることはできるだろう。
以上のところまでの話は、余りにも普通すぎると思うだろう。
ここでは、一歩進んで、お金に換算できるサービスはあくまでも等価であり、どちらを選んでも同じだ、という考えに立って行動する概念を提案したい。
最近、若干そういう風潮になっていると思う。通販サイトで送料無料と言っても、実は価格に含まれていることも消費者の多くは気づいているし、仮に大手通販サイトが影響力に物を言わせて運送会社へ不当に値引きを迫っているのであれば、そういう会社は利用したくないとか、送料を別途負担することは何もおかしくないという風に消費者も意識変革をしていると思う。フェアトレードという概念も既にある。
観光地や山奥の僻地などで自販機の価格が下界の2倍だったら、高いなぁと感じる。後者の山奥であれば運送費や管理費も高いから仕方ないが、前者は商売っ気を感じて嫌になるときもある。ただし、その場において、他に入手できる手段はないわけだから、これは等価なのだとひたすら考える、受け入れるのである。
専業主婦の時給は幾らかという話は昔からされるが、仮に家事子育てを外注をした場合はXX万円かかる。仮に100万円/月としよう。ネットでざっと調べると40代男性の正社員の平均年収が560万円ぐらいだったので話を簡単にするために600万円/年とする。
そのとき、見かけは男性が働き年収600万円だが、専業主婦は100万円/月×12ヶ月=1200万円。すなわちその家庭の総収入は600万+1200万=1800万円とということになる。ただし、支出もそれだけ生じている。その家庭としては、家事や子育てに対して、相手は専業主婦であるが、家庭は外注として1200万円支出をしていることになる。
花見酒という古典落語がある。あらすじを簡単に。AとBの2人で酒を売り歩く際、Aが相手Bに代金を払って酒1杯を飲み、今度はBがAにその受け取った代金で再度酒を飲み、を繰り返していたら、在庫尽き果て、手元に残ったのも1杯の料金だけだったというオチである。ここでは、オチに終わらせず、上記の考えで整理すると、仮に10000円分の酒を事前に用意していたとしたら、確かに10000円の売り上げは出たが、同時に商売中に10000円を使ってしまった、ということになるだろう。単に、普段は使わない10000円を酔いに任せて使ってしまったことが問題であって、何もおかしなことではないという考えをすると、色々な側面が見えてこないだろうか。
子育て家庭に戻ると、見かけの現金収入は600万円かもしれないが、実際には1800万円の収入もあり、実際に1800万円の支出もしている、という視点に立ってみる(貯蓄や納税は今回一切無視する)。その視点で見ると、専業主婦への敬意も改めて生じるし、そもそも人が家庭で暮らすにはこれだけのコストがかかっているのだなぁと実感する。そういうコストがかかるものを一部の人にしわ寄せになるような日本の働き方の体系(雇用、勤務、税金体系等々・・・)になってしまっているということだ。
話がそれてきたので戻そう。高速道路料金を払う払わないに限らず、とにかくその区間や距離を移動するには340円分の見える/見えないコストを払っていることを認識すれば、どちらが高い/安いでなく、見える現金として払うか/そうでないところで負担をするか、という見た目の違いだけであってコスパが良いか悪いかというところを考える必要はないと。そのようにものの見方を変えるだけで、自分がこだわっていたのはちっぽけに感じるし、世の中で働いている全ての人の価値というものに少しだけでも気づけるようになると思う。
この考えは、突き詰めるほど粗は沢山出てくるので、そういった反論は予想できる。同じもので価格が異なる場合(特に今では転売ヤー)はどう考えるのか、生産者と流通との取り分はどうなのか、など色々課題はあろう。
まだまだ荒削りなのだが、とりあえず初稿として出してみた。今後もっと具体例や波及効果も含めて考えを深めてみたい。