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売れないタレントの初めて決まった仕事が特殊すぎた件

元アイドル、現在タレント歴2年。
初めて演技の仕事が決まった。

とはいえ台詞がほぼ無い演技の撮影で、初めての仕事にしてはかなり特殊な仕事だったし、作品が完成しても出演したことは公表してはいけなかった。

だからなんだ!
私は仕事が決まること自体そうそう無いほど小物タレントなので、そんなことはお構い無しに浮かれきった。

泊まり込みで4日間撮影することが決定し、小物タレントである私は旅行に行くかのような気分でスーツケースに服や下着を詰めているが、朝の7時から夜の23時過ぎまでの超ハードスケジュールな撮影になることをまだ知らない。

現場に着くと市役所みたいな建物でなんだかスタジオには見えなかった。
どんな撮影かもよく分かってなかった私は外で待っていたスタッフの方に案内され、衝撃的なものを見た。
そこには見たことない量のスタッフの方々、キリンみたいなカメラ、体育館みたいに広いスタジオがあった。

スタッフの方の1人が「五十嵐さん入りまーす!」と大きな声で言う。
え、恥ずかしいよ、全然静かに入りますよ?
そんなことを思っていると、すごい数のスタッフや関係者の顔が一斉にこちらに向いて「よろしくお願いしまーす!」と言われ焦り始めた。

いや、これ私で本当にいいんか?この人たちは本当に私でいいと思ってるんか?

すごく心配になりながら、楽屋があるということでとりあえずスタッフの方に従って楽屋へ向かった。

「こちら五十嵐さんの楽屋になります。」

いやまさかの個室!
元アイドルなんて大層な後書きを持っていながら自分専用の楽屋が用意されているのは初めてでうろたえる。

中に入るとトイレとシャワーまで付いていた。
私ごときが専用のトイレと、ましてやシャワーなんて絶対要らないだろ、と思いつつもすごく嬉しくて舞い上がった。
おまけにテーブルにはすごい量のお菓子まで備えてある。

実際の楽屋ではしゃぐタレント


ありがや、ありがたや。

別の部屋でヘアセットをした後、衣装さんに助けられながら楽屋に用意されていた衣装を着た。
詳細は書けないが、着るのに30分以上かけて私も衣装さんも着終わる頃には息を切らしていた。
私は間違えて宇宙飛行士のオーディションに合格していたのだろうか。

くだらないことを考えながらも全て着終わり、スタジオのある場所に移動した。

「五十嵐さん入りまーす!」
とまた言われ、色んな方に挨拶されペコペコしながら入った。
慣れる気がしない....

そして早速指示を受け、言われた場所に立つと早速始まってしまった。

え、もういきなりやるんですか?
と思っていると現場の全員が私を見るので、どうやら始まってしまったらしい。

だだっ広くて明るいスタジオに私1人、カメラの方ではすごい数の人間が暗い中で私を見ている。
それはアイドルだった時にステージで見た光景を彷彿とさせ、心臓がキュッと縮まった。
色んな大きさのモニターに映っているのは私1人。
奥には監督や偉い人たちと思われる人達が黙って腕を組み、こちらを見ている。

唐突な沈黙の中、私は1人でなんとか笑顔で演じた。

「...カット!」

いや、怖すぎないか?
カットの合図で再び慌ただしくスタッフの方々が動きだし、色々な音が再び戻る。
これ毎回カメラが回る度に沈黙の中で全員に見られながらやらないといけないのか?
現場の「ガチ感」にようやく自分の置かれた状況に気がついた。

それでも女性の衣装さん達が気さくに話しかけ続けてくれ、数時間後にようやく緊張がほぐれ始めた。

それと同時に沈黙の中する演技にも慣れ始めた。
外の光がスタジオに入らないので、時間感覚が狂いながらいつの間にか夜の21時を過ぎていた。

スタッフもエキストラも初日にしてかなり疲れていたが、全員が一丸となってがんばっていた。
そんな中、その日の撮影は私1人のシーンで最後だった。
朝の私だったらプレッシャーでビビり散らかしていたかもしれないが、その時私は「ゾーン」に入りはじめていた。
もはや私は私ではなかった。

最初は演技なんてしたことがなかったし、若干の恥ずかしさがあった。
しかしこれだけ大勢の大人が本気でいいものを作ろうとしている姿を実際に目にして、私も本気で演じることに没頭できたのだ。

合図とともに現場が静まると、世界が変わった。
スタッフの方々は消え、そこには全く違う世界に私しかいなかった。

気がつくとその日の撮影が終わり、明日に撮影するはずだったシーンも撮ることができたようで、次の日は私だけ休日になった。

全員に挨拶をし終え、帰りのバンに乗せていただき宿泊先に向かった。
もう夜の23時半だ...信じられない。
なんて衝撃的な1日だったのだろう。

私は「演じる」というものに初めて触れ、心を動かされた日だった。

次の日はホテルでゆっくり休み...たかったが、小物である私は、家には無い大きなテレビでYouTubeまで観れることにはしゃいだりと忙しかった。

そしていよいよラスト2日間が始まった。
朝早くスタジオに入り挨拶をすると、私よりも更に早く準備をしていたと思われるスタッフの方々には一層濃いクマがあった。
昨日私がテレビのYouTubeではしゃいでいた時も、この人たちはほぼ寝ずにがんばっていたんだと思うと、改めて気が引き締まった。

そしてこの日、初日では気づかなかったことに気がついた。
それはスタッフ全員の団結力だ。
現場では至るところで予想外なハプニングが起こっていたが、不思議となんとかなってしまうのだ。

あまり詳細に書けないのが残念だが、私の着ていた特殊な衣装が思いっきり破けてしまうハプニングが起こった。
縫ったりテープで繋げられるようなものではなく、これだけは破損したらヤバいと最初から言われていたものだった。
それをとうとう壊したのだ、私が。
ただ基本動作をしていただけなのでどうしようもなかったと言えばそうなのだが、まだ撮影しなければいけないカットが残っている。
代替品は無いか、作った業者に直してもらいに行くか、そんなアイデアも出されたが、スタジオから向かえば片道2時間。
直すにも交換するにも往復するだけでも4時間かかるので、あまりにも絶望的だった。

五十嵐早香、短いタレント人生に幕がおりた...そう思っていた時だ。

「私...これ作ったことあります!直せるかもしれません!」

そう言ったのは別の衣装の全く違う分野のパーツを作った女性だった。
確かにその女性が作った物は素晴らしく丁寧で美しかったが、私が壊した衣装は全く別ジャンルの専門業者が作った物だった。
しかし頼りになるのは彼女だけ。
誰もその衣装がどんな作りなのかすら分からなかったし、その日の撮影はかなり押していて時間が無かった。

満場一致で彼女に任せることになり、他のスタッフが直すのに必要な物を買いに行った。

私は申し訳なさを感じつつも、ハードな撮影に体力も消耗していたので、その間にしっかり夜ご飯のケータリングを食べて休息させていただいた。
ソファーで横になっているとノックが聞こえ、衣装さんが入ってきた。
「五十嵐さん、すごい綺麗に直ったみたいですよ!」
すると先程の女性が衣装を持って入ってきた。
それは一度破れたとは思えないほど綺麗に元通りになっていた。

私は驚愕しつつ、衣装さんにせかせかと直された衣装を着せられ急いでスタジオに入った。
ゆっくりご飯を食べたとはいえ、買い出しまで行けば2時間ほどかかると思っていた私は本当に驚いた。

無事撮影は続行することができ、その日の撮影は22時半に終わることができた。
しかしホテルに着いたらもう23時。
明日も朝早くから撮影なのでお風呂に入ってすぐ寝ることにした。

寝る前に「もしあの女性がたまたま現場にいなかったらどうなっていたのだろうか」と考えたが、思い返せばそれはその女性に限らなかった。
メイクさん、衣装さん、スタッフが1人でも違えば全く違う作品になっているかもしれない。
映像作品に限らないと思うが、大ヒットした映画やドラマも、すべてが必然であり奇跡でもあるかもしれない、そう思った一日だった。

次の日の朝、ホテルに迎えに来たバンに乗ると、多分ちょっと偉いポジションの現場で指示を出していた女性も居た。
なんなら初日からこの方は疲れていたが、今日は限界突破した人の顔をしていた。
「疲れ切ってますね...」と話しかけると色々と苦労していることを話してくれた。
どうやらその方にはまだやんちゃな小さい子供が何人かいるようで、家でもなかなか休めてなさそうだった。
そうだよなぁ...サラリーマンと同じで普通に家庭を持ってたりする中で頑張ってるんだよなぁとしみじみ凄いことだと感心した。

楽屋に入るとおにぎりセットの朝食と、惣菜パンセットの朝食が置かれていた。
昨日までは毎回おにぎりの方のみ食べていたが、今日はおにぎりだけでは満足できずにパンまでペロッと食べてしまって驚いた。
それだけいつもより何かを消耗しているということだろう。
そう言い聞かせたが、あながち間違ってはいなかった。

スタジオで演技をしている間は何も感じないが、休憩が入ると衣装がもたらす負担を感じた。
そんな中でも衣装さんやメイクさんがこれでもかという程私を褒め散らかし、モチベーションを上げ続けてくれた。
特に最終日にはもはや何をしても褒められたので、もしかしたら疲れが顔に出てしまっていたのかもしれない。
衣装さんやメイクさんは私以外のエキストラまで管理していて、確実に私より疲れているはずだ。
それでも終始明るく笑顔で接してくれているので、作品のクオリティをこんな角度からも上げているのだと再び感心した。

スタジオで監督が映像確認をしている間、座って待っていると今朝バンに乗り合わせた多分偉い女性が話しかけてきた。
現場の愚痴を少し聞いていると、「もう体が動かなくてあと1年もあたしは続かないよ!」と言った。
すると別のスタッフの方が話に入ってきて、「そんなこと言わないでもうちょっとお願いしますよ〜」と言う。
その後も話を聞いていると、偉い女性は一度転職して今の仕事をしているが、前の仕事も同じで映像作品の現場で働いていたそうだ。
彼女はきっと、愚痴りながらもこの仕事が好きでプライドを持っているのだろう。
子供がいるなら尚更、ちゃんと好きでないと続かないハードな仕事だ。
辛い経験も沢山あったが、自分を信じて続けたおかげで、今はここまで来れたと話してくれた。
彼女の言葉はグッと心に響いた。

職人気質で才能ある人はツンデレ率がやっぱり高い。
きっと来年も再来年も変わらずこの仕事をしているだろう。

撮影もいよいよ終盤、しっかり最後までハプニングが起こり、めちゃくちゃ押していた。
なんとか現場の人たちが団結して、ラストのカットまでたどり着いた。

これで最後の演技になるかもしれないと思うと、大変だったが寂しく思えた。
私はまた「演じる」ことに触れられるだろうか。
私がまたこの人たちに会うことはあるのだろうか。

無名の小物タレントなんて、いつ、どうなるか分からない。
この仕事も公表することはない。

それでもこの経験は私の心を大きく動かし、それが何よりもこの経験の動かぬ証拠となった。

「オッケーです!撮影終了しましたー!」

たくさんの拍手と共に、監督が花束を抱えて出てきた。
撮影後に花束なんて初めてもらうので驚いた。
「五十嵐さんで良かったです。ありがとうございました。」
監督はそう言ってくれた。
そんなことも、この仕事で初めて言われた。

タレントって変な仕事だけど、やっぱりやってて良かったと思う。
食べるのも楽じゃないし、普通の仕事じゃ有り得ないことも起こるし、相談できる人もすごく限られる。
それでもその分普通の仕事じゃ経験できないほど沢山の色々な経験ができて、出会うはずのない人たちと出会えて、見れるはずのない世界が見れる。

売れてなくてもこんなに面白い。
でも売れたらきっともっと面白い。

食レポ、グラビア、テレビ出演、イベントゲスト、舞台出演、CM、モデル。

演技も新しいことも、これで最後にしたくない。
もっともっと色々な世界を見てみたい。
もっともっともっと、まだまだ足りない。

私は今日も小物タレントをしています。
明日こそ新しい世界に出会うために、また明日もタレントをする。
お金が無くても、とっても幸せ。
ずっとそう思える人生が続くよう、私は奇妙な毎日を噛み締めている。

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