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「以前は・・・」は捨ててください。

ふと、以前自分が住んでいた場所に足を踏み入れた時、当時の記憶そのままに歩こうとしたけど、まるっきり光景が変わってしまっていて驚く事が多い。大阪に久しぶりに帰るとそんな事ばかり。阪神&阪急の地下とか。大阪駅の周辺なんかはもうまるっきり別の街。でも、これが変化だし、その場に住んでいる人達にとってはそれが日常。

FacebookやInstagramのちょっとした仕組みなんてコロコロ変わってて、もう毎日触ってなかったらあっという間に浦島太郎みたいな状態です(泣)。

InstagramとFacebookの商品登録の仕組みもコロコロと・・。

SNSからの商品販売ページに流れる事ができるように以前整えたMetaの商品カタログ。写真・説明・価格等を設定して、投稿にタグ付けできるようにしてあったのですが、つい放置してて、久しぶりにタグ付け等を確認したら、どうも以前の投稿もタグ付けが外れてしまっている様子。(勘違いかもしれないけど、どう見ても切れてた・・・)。
もう以前のやり方は全く通用しなくなっているので、また管理用のツール画面の内容を理解し直して言葉の違いを拾って、再設定のやり直し(泣)。

タダで使わせてもらってるツールだから文句言えないのは分かるけど、それでもお気楽に仕組みが変わってしまうこのあたりのツールにビジネスが依存してるのって何となく違和感を感じずにはいられない。仕方ない面ではあるんだけども。。。

「以前は・・・・」は何の役にも立ちません

以前は◯◯だったのに・・・ という言葉は何の役にも立ちません。改めて今の時代はそういう場面が増えました。コンピュータのOSやスマホの操作性なんかもそう。アプリをアップデートした途端に動きがまるっきり変わってしまうことも日常茶飯事(泣)。
常に、”今はどうなっているか?”を考えることが一番シンプルで分かりやすい考え方だと思います。

今どきの子供達に見習おう

普段の振る舞いや新しいことへの適応力等、今どきの子供達に学ぶことは本当に多い。

全然違う話だけど、このこども書道コンクールの開催自体が大人として恥ずかしいと思わないのか? と感じずにはいられない。

大人が未だに飲酒運転をやめられない現実を子供達に託すなどと・・・情けない大人でゴメンナサイ!って子供達に謝りたい。

交差点で車の動きを見て歩行者用ボタンを押したり、車に横断歩道で譲る小学生。
スマホやiPad等も特に操作方法等学ばなくてもサクサクっと理解して使ってくれる柔軟性。

大人は、子供達の姿から学ぶことが本当に多い。メディアに出てくる今の若者たちも頼もしい人達ばかり。みんな、”今”にちゃんと生きてるから頼もしいんだと思う。

それにしても、アプリやコンピュータの仕組みは以前は下位互換を基本にしてたけどそういうのも今は昔なんだろうか。

なんだか、ちょっと切ないけど、これもそういう流れだから受け止めるしかないのでしょうね。

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