”理不尽”は成長に欠かせないエッセンス
従業員のS君は、とても素直なんだけど柔軟性に欠けるので、なにか仕事を頼む時にも少し気を使ってうまく取り組んでもらえるような話し方をする。
これは、僕の場合。
しかし、親方はそんな面倒なことは一切しない。
「おい、S。○○やるから。」
S君には選択の余地なし。腹立ててブチ切れている時もあるけど、親方はそんなことも気にせず仕事をすすめる。
ただ、この”理不尽さ”は親方だからできること。
僕の立場では、さすがにこのやり方ではS君は納得しないだろう。
でも、その理不尽な指示の後は、S君は今までできなかったことができるようになっていることが多い。
本人は、多分、腹立てたままで気づいてないかもしれないが(笑)。
無茶振りが気付きを与えてくれる
自分には見えていない可能性、能力は、誰かがそのきっかけを与えてくれることで初めて見えてくる。
僕の場合、自分から飛び込んだとはいえ、突然酪農の現場に放り込まれたことでそれまでの自分には考えられないようなスキル・目線を得る事ができた。
こうして、毎日のようにタイヤショベルに乗り込んで餌を運んだり、
こういうトラクター&草切り機に乗って作業したり、昔では考えられないような事をあれこれと普通にこなしている。
理不尽が許されるのは”哲学”が必要
親方を含め、牧場では”牛ファースト”の哲学が貫かれているので、そこを外れるような指示は絶対にないし、あったとしても牛ファーストではないのであれば反論してもいい。理不尽でも何でも引き受けるというのではなく、その裏にある”哲学”の部分が共有できてることが大前提かも知れないね。