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【感想】NHK 歴史探偵「大奥コラボスペシャル」を視聴しました
2023年3月1日(水)22:00~22:44、NHK 歴史探偵「大奥コラボスペシャル」を視聴しました。
<始まる前に>
今日はドラマの番宣で、しかもテーマが大奥かあ!?
興味ないけど、とりあえず、視聴しますか・・・。
最近この番組、番宣多すぎ。。。
<NHKのあらすじ>
歴史探偵とドラマ10「大奥」がコラボ!
男女が逆転しないリアルな大奥に迫る。
3000人の女性たちの出世競争。
将軍も恐れた大奥の力とは!?
貫地谷しほりさんが登場。
■大奥の真相に迫る!
■スタジオで
実際にドラマで使われた衣装がスタジオに登場。
ゲストは、徳川吉宗の側近、加納久通役の貫地谷しほりさんです。
大奥の敵役、史実では男性です。
実際の大奥には何人いたのか?
→最大3000人いました。
広さおよそ6000坪、サッカー場が3面入ります。
■大奥本当の姿とは?
川越に
喜多院、徳川将軍家と縁が深い寺に大奥から移築された建物があります。
・住職の塩入秀知さん
部屋の主は、家光の乳母を務めた春日局です。
梁や柱に使われてるのは、すべて檜、4部屋40畳の部屋を一人で使っていたそうです。
大奥の頂点は、老女と呼ばれていました。
ほとんどが大奥の運営にかかわる仕事をしており、ピラミッド構造の組織でした。
階段の上にあるのが春日局をお世話する女中部屋です。
大奥老女までの出世の道のりを調査します。
■大奥老女までの出世の道のり
・畑尚子さん
大奥の役職が描かれた絵図「奥奉公出世双六」です。
御末(御半下)は一番下の役職、風呂の水くみ、掃除、さらに籠の担ぎ手も。
早く役替えになりたいというボヤキが書いてあります。
目標にしたのが御茶之間です。
上から引き上げてもらえるかが出世を左右します。
御三之間という役職は上級女中の掃除や雑用を任されました。
上役と接する機会が増えます。
表使は、幕府に大奥の意向を伝えます。
幕府の役人と対等に接する事ができました。
そして、老女が頂点でした。
何千万円もらえるかなりいい職場で、女性が自立していくにはいい職でした。
■スタジオで
佐藤所長「キャリアアップの場でもあったんですね」
・大石学さん(東京学芸大学)
出世の要件
➀引き
➁運
➂器量
佐藤所長「夢がある社会だったんですね」
大石学さん「身分が低いほど辞めやすく、上に行くほど辞めにくかったです」
老女は5~6人いました。
伝説の老女と言われる人が現れます。
■伝説の老女・瀧山
・瀧山宜弘さん
ゆかりのものが残されていました。
先祖が大奥で拝んでいたであろう本尊様。
最近、驚きの発見がありました。
先祖瀧山が残した、瀧山への贈答記録です。
とてつもない権力が見えてきます。
1859年、火災で大奥のほとんどが焼失、多額の見舞金を受け取っていました。
総額900万円の見舞金が贈られていたのです。
これも、将軍の相手選びという、権限があったからでした。
側室の候補を決めるのが老女で、そこから将軍が相手を選びます。
将軍に気に入られる前に、老女に気に入られる必要がありました。
権力は江戸城の外にまで及んでいました。
姫路藩の特産品、高砂染の着物が贈答品として贈られていました。
なぜ大名が老女に気遣いをしなければならなかったのか?
その理由は、田安家の徳川慶頼です。
その頃慶頼は、幕府に領地を取り上げられようとしていました。
それを撤回してもらうよう、瀧山に仲介してもらおうとします。
お願いが通ったという文書が残っていました。
■スタジオで
佐藤所長「女将軍といってもいいような」
「実に恐るべきものにて、実際、老中以上の権力あり」と残っています。
幕末の動乱に巻き込まれていきます。
■大事件が起こる
それは将軍の正室にまつわること。
武家出身の姫、天璋院・篤姫が輿入れしたのです。
きっかけは黒船来航です。
有力大名に政治参加を求めます。
そのシンボルとして薩摩藩からやってきたのが篤姫でした。
しかし二年後、将軍家定が病死、13歳の家茂が跡を継ぎました。
このとき再び大事件、天皇家から家茂の正室として和宮が輿入れしたのです。
朝廷と幕府が力を合わせる公武合体の証でした。
しかし、大奥に波乱を巻き起こします。
天璋院は武家、和宮は公家出身、うまくいくはずがありません。
和宮が天璋院に贈り物をしますが、目録で様をつけずに呼び捨てにしたのでした。
天璋院も黙ってはいません。
和宮が挨拶をしにきたとき、なんと座布団がありませんでした。
そんな対立する二人の間を取り持ったのが家茂で、二人の和解に務めたといいます。
しかし不幸が起こります。
家茂が亡くなりました。21歳の若さでした。
そして、薩長が新政府を樹立、徳川打倒の兵を挙げ江戸に進軍。
慶喜は戦いを放棄、謹慎してしまいます。
その時立ち上がったのが、天璋院と和宮でした。
まずは和宮が動きます。
西郷隆盛は、徳川家に強硬な姿勢を取り、無視します。
今度は天璋院が動きます。
徳川家の存続が許されるよう、朝廷へのとりなしを願います。
ついに西郷隆盛は折れます、江戸城への攻撃が中止されます。
大奥から出された一つのお触れが歴史を動かします。
『天璋院様御履歴』家臣全体に対して大奥から発せられた、最初で最後の命令書です。
暴発すること無きことが家康公以来のご奉公だということだと伝えています。
1868年(慶応4年)4月11日江戸開城
明治維新の影に女達の知られざるドラマが有りました。
■スタジオで
大石学さん「実は女性たちが動いた」
佐藤所長「大奥、迫力ありますよね」
ーーーおわりーーー
次回は「家康の顔」3月8日(水)放送です。
■感想
天璋院・和宮の話を除くと、ちょっと針小棒大ですかね。
天璋院・和宮もあまり大奥とは関係ないですし。
将軍の意向によって大奥の方針も変わったと言われますし、徳川幕府もうまく女性を扱ったと言えなくもない。
男性と女性がそれぞれの立場を理解しながら、社会が動いていた時代だったんでしょう。
それに対し、現代はどうもおかしなことになっています。
エルジーなんとかとか、フェミなんとかとか、社会を破壊しようとするかのような動きを流行らせようとしています、多様性という名の下。
悪徳代官が多様性という水戸黄門の御印籠を振りかざしているとしか見えません。。。