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【感想】NHK 歴史探偵「誕生!「古都」京都」を視聴しました

2024年3月13日(水)22:00~22:45 歴史探偵「誕生!「古都」京都」を視聴しました。

<始まる前に>
京都は最近行ってないですね。
オーバーツーリズムらしいので京都民は大変そうです。

<NHKのあらすじ>
幕末から明治へ時代が移り変わる中で荒廃を極めた京都。
復興の切り札は近代日本のありかたを模索する者たちが見つけた「歴史と伝統」だった。
古都・京都誕生の軌跡を追う。


■誕生!「古都」京都プロローグ

●スタジオで
佐藤所長「世界に誇る観光都市です」
佐藤所長「千年続く古の都という感じです」
破壊と再生が繰り返されてきた街でもあります。
応仁の乱、戦国時代には天文法華の乱で街が焼けてしまいます。
1867年明治維新で大きく変わります。

■姿を変える前の京都

●京都御苑
・高木博志さん(京都大学)
明治以前はどんな場所だったのか?

●西園寺邸
「掌中雲上抜錦」(1866年)住宅地図を見てみると、公家町だったことが分かります。
公家町の内と外は通りでつながっていました。
「コシカケ」ベンチみたいなものがありました。
宜秋門の前には腰掛けが置かれていました。
酒や肴を売る檜垣茶屋で一杯やりながら公家たちが参内するのを見るのが京都観光のハイライトでした。
「拾遺都名所図会」(1787年)には、旅人、茶屋のうり子の姿、町人、農民の姿も描かれています。
特別な日には天皇の御所に一般の人も出入りできました。
「明正天皇御即位行幸図屏風」
お母さんが赤ん坊に乳をやる牧歌的な表現が描かれています。
正月には、猿まわし、萬歳といった芸能の人がやって来ました。
京都の中心には、多様な人が行き交う開けた町がありました。

■町のつくりも変化

●新京極
・小島英裕さん(宝蔵寺)
境内地に居ます。
江戸時代には、新京極通りはお寺の境内だった場所に作られていました。
大方丈・小方丈、塔頭寺院がありました。
塔頭寺院が亡くなった後に芝居小屋が映画館になりました。
江戸から明治にかけ、京都の町は大きく変化していました。
手がかりが京都御苑に残されていました。
門に穴が空いています。
銃弾の跡で、1864年の蛤御門の変で出来ました。
長州藩が御所を目指して攻め上ります。
会津・薩摩・桑名藩と激しい戦いになりました。
火災は京の街を飲み込んで行きました。
京都の中心部のほとんどが被災していました。
さらに、大政奉還が行われ徳川幕府が崩壊、都が東京に移ったのです。
公家町は廃墟と化し、30万が23万に減少、京の町は衰退しました。

■意識も変化

●清水寺へ
・坂井輝久さん(清水寺)
江戸時代のガイドブック「都名所図会」に描かれていたのは鳥居です。
現在、その形跡はなにもありません。
鳥居の先には地主神社がありました。
清水寺と地主神社は一体でしたが、神仏分離令(1868年)で分離されました。
清水寺からは鳥居が撤去され、仏像は寺へと移されました。
それだけでなく、人々の素朴な思いも影響を受けたと言います。
石仏がたくさんあります。
これは、京の街角で祀られ手を合わせてきた仏様です。
お地蔵、大日如来、阿弥陀様町のかどかどに祀っています。
京都府は、俗信だとそれはやめろと命じました。
「京都府布令書」(明治4年第16号)
「あやしく人を惑わすものなので早々に撤去すること」
近くのお寺に預けたらなんとかしてくれるだろうということで集まりました。

●スタジオで
佐藤所長「そんな時代があったというのは知らなかったです」
送り火が、1873年の布令で「お盆の時期に送り火をして無駄に焚き火をしている」
「子供たちの文明開化を妨げる」
高木博志さん「神武天皇の国造りを唱え、旧来の伝統や秩序を破壊しようとしました」
「富国強兵や殖産興業のスローガンを欧米列強に並び立つために唱えます」
「仏教信仰のようなものを近代化を阻害するものとして捉えられたのです」
佐藤所長「ほんの150年前というのがショックです」
京都復興のきっかけとは?

■京都復興の手がかり

佐賀県の佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館
・近藤晋一郎さん

●佐野常民
明治政府の官僚として日本赤十字社を創設
佐野が京都の復興に関わることになったのは、あるプロジェクトがきっかけでした。
オーストリアのウィーン万国博覧会(1873年)
明治政府が初めて参加した国際博覧会です。
大仏の模型、巨大な提灯、名古屋城の鯱、伝統工芸品、甲冑、日本らしさを感じるものが選ばれました。
すると意外な反応が起きます。
日本展示館に和風の庭園が、イギリスの会社が丸ごと買い取るほど、好評でした。
佐野は伝統工芸や美術品が高く評価されることを知ります。
シュヴァルツ・センボルンから、「西洋人が日本の品を賞賛するのは、固有の趣があるからだ」
佐野常民の気づきが京都を結びつけることになります。

●岩倉具視
この頃、岩倉は使節団を率いて欧米各国を訪れていました。
・高木さん
「ロシアはロシア、イギリスはイギリスらしさを持っていることを見聞」
各国が大切にしていることを知った岩倉が情報を集めるようになります。
ロシアの首都はサンクトペテルブルクでしたが、即位式は旧都モスクワで行っていました。
ロシアの事例を元に、京都を特別な場所に位置づけようとします。
欧米に並び立つカギが、古都京都だったのです。
実は岩倉、京都に特別な思いがありました。

●岩倉具視幽棲旧宅(京都市左京区)
この頃地元の人達に何度も命を助けられたと言います。
・重岡伸泰さん
岩倉は東京に移り住んでからも、度々地元民を集めて宴会を開いていました。
「非常に衰退している様子が目に映り、ダメージを与えたという忸怩たる思いがあったのではないかと」
亡くなる年、京都復興の建議書「岩倉具視の意見首」(1883年)
「千年の都がたちまち荒れ果ててしまったのは明治維新で体制が変わったからとはいえ、とても惜しいことだ」
「民の生業を回復するにはさまざまな儀式や祭りを行い、全国の人びとがこの地にやって来るようにするのがよい」
歴史と伝統を踏まえたベントを行うことで一流の国、街を復興させる、岩倉の京都復興の青写真でした。

●スタジオで
佐藤所長「気づかせたのは国内ではなく、海外だったんですね」
高木さん「歴史は伝統神話ももっていなければいけない」
ほかにも気づきがありました。
ドイツ語のリスト「bildende kunst)=ファイン・アーツ(fine arts)
「美術」ということばです。
「西洋ニテ音楽 画学 像ヲ作ル術 詩学等ヲ美術ト云フ」と定義します。
この美術を定義することで、伝統文化を守ることにつながっていきます。
高木さん「美術的勝ちがあることに気づくのです。伝統を保存しようという機運が高まります」
「仏像は拝む対象が、鑑賞する対象に180度変わります」

■京都復興はどのように実現したのか

●平安神宮
・中川理さん(京都工芸繊維大学)
1895年創建の平安神宮
内国勧業博覧会が行なわれ、同じ年に平安遷都千百年紀念祭も行なわれました。
平安神宮は、その祈念殿として計画されました。
イベントに多くの人が来るよう作られたのが平安神宮でした。
平安京の応天門を8分の5サイズで再現したものです。
大極殿も再現されました。
「今、平安京のものはなにもないので、平安京をあえてイメージするものを作った」
大極殿を神社の拝殿にして多くの参拝客に来てもらうようにしました。
佐野常民が指導的役割を果たしていました。

●路面電車
一番最初に路面電車を走らせたのが京都でした。
日本初の路面電車1895年、京都駅から会場へ市電で送ったのです。
「琵琶湖疏水」出来たばかりの運河で、水力発電所を作りその電気を用いました。
・久岡道武さん
会場を描いた絵を見ると、目指すべき京都の姿がわかります。
1000年の都を表現した平安神宮、近代化の歩みを感じられる博覧会場、琵琶湖疏水
来場者は4か月でのべ113万人に及びました。

●観光都市へ
佐野常民のことば
京都の人たちに求めるのは、山林の修復、美しい自然を守ることだ。神社仏閣の古い美術品を守り、鑑賞できるようにすること。そうすれば京都のお得意様になることだろう」
千年の歴史を感じる山紫水明の古都を目指しました。
放置されていた国有林の整備も行います。
1897年、没収されていた山林の一部が清水寺に返還されました。
たくさんのもみじが植えられました。
同じ年、古社寺保存法が制定され、古い建築物の修理にも補助がつくようになります。
紅葉の名所にしようという狙いがありました。
「修学旅行京都史蹟案内」(1915年)京都を訪れる意義を記しています。
京都は、日本の歴史や伝統文化を学ぶ場所として定着していきました。

●スタジオで
佐藤所長「明治の復興がきっかけだったんですね」
1893年、日本のイメージ戦略「シカゴ万国博覧会日本館は、平等院鳳凰堂がモデルでした。
佐藤所長「なぜ平安時代中期だったのですか?」
高木さん「日清戦争が起き、中国や大陸とは違うものだというイメージを作り出したかった」
「中国文化から離脱したものと解釈された平安の国風文化をイメージとして選び取った」
「当時、身分社会で藩に分かれ、日本人という意識が殆どなかった。維新後、一つにまとまる必要がありました。多様な文化があり、均質なイメージを強制していく側面もあります」

ーーーおわりーーー

次回は「知られざる◯◯」4月3日(水)22時放送です。

■感想

京都御所も気軽に入れたいい時代ではありましたけど、江戸時代は天皇軽視の時代でもありました。
それが明治維新で180度路線変更し皇国へと変貌していきます。
もろに影響を受けたのが宗教で、神仏分離令で大混乱、廃仏毀釈へと変わります。
権力を持ちすぎた寺院への反動もあったのでしょう。
王政復古の大号令、神仏分離令、廃藩置県、日米和親条約などなど、すごい改革であり、一気に変更した。
日本が変わるには外圧が必要だといいますが、その典型ですね。
今の日本を変えるのにも外圧が必要と感じます。
とはいえ、変な外圧だけは勘弁してほしい。。。
京都は修学旅行で訪れて以来、数十回は行っているでしょう。
だけど最近は行ってません。
行くと拝観料とか駐車料金とかで大変な出費になるし、オーバーツーリズムらしいし。。。
行くなら、奈良、出雲、宮崎、宇佐、鹿児島あたりが候補です。
できれば1か月かけて九州1周とかしたいなあ。


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